おはようございます。
金曜日の朝です。
さわやかな朝でございます。
映画ゾンビ中で、いがらし先生が、永島慎二先生のことを書かれていました。
仙台のいがらし先生の事務所には、永島先生といがらし先生のツーショットの写真が
飾ってあります。
そう、あれは、ぼのぼのを描く前のことです。
いがらし先生は、過激な4コマギャグ漫画家として、当時の若者の間で
人気がありました。また、いろんな漫画家さんや笑いを好きな人に、影響を与えました。
ちょうど、その過激な漫画を描き終えて、休筆をしていた頃のことです。
キースは、1ヶ月に1度のペースで仙台に行っていました。
休筆とは、表向きの話で、いがらし先生は、ホラー劇画を描いておりました。
で、その原稿の出来具合を確認するためと、三喜亭4コマ大喜利という
読者投稿まんがの連載のために毎月、通っていたんです。
でも、ホラー劇画のほうは、いがらし先生は、見せたくないということなので、キースは
見せたくないなら、見ないという人ですから・・。(笑) 見なかったわけですが、
かわりにと言ってはへんですが、いがらし先生が、13歳の時に描いた
「ビー玉の中の妖精」という投稿のための漫画原稿を見せていただきました。
たしか、16ページのストーリー漫画でした。
そして、それは、まさしく完全なプロの絵でした。
そして、それは、永島先生の影響を受けたやさしい、どこか切ない漫画でした。
「ああ、いがらしさんという漫画家の出発点は、ここなのか」と、キースは、
心に刻みました。
誰かの作品を好きになる、影響を受けて、その先生のような人を感動させる作品が描きたくなる。
そして、自分の中で昇華して、新しい世界が生まれる。
でも、いちばん誉めてもらいたいのは、最初に好きだったその先生なのですね。
そして、いがらし先生が永島先生を大好きだった理由を、ゾンビの中でこう書かれてます。
『永島先生は「夢は必ずかなう」などというウソは言いませんでした。』
ああ、そうなんですね。永島先生の漫画は、だから心の中に入って来るんですね。
永島先生も、また、多くの漫画家さんに影響を与えた作家さんです。
みなさんも機会がありましたら、永島先生の作品を読んでみてください。
ちょっとさみしいけど、あったかい漫画です。
それでは、今日は、このくらいで。
良い週末を。
また、来週。