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2007年05月25日

黄色い涙

まず「スパイダーマン3」の方から。いきなり、「スパイダーマン3」なんか観たくなかった、とか言ったらあんまりですが、まぁ、他にやっているものが「ハンニバル・ライジング」とか、「ロッキー・ザ・ファイナル」とかなのでしょうがないです。これが東京だったら、もう少し選択肢があるんでしょうね。昔から、映画環境における東京と地方の格差は絶大です。浅草に行けば「子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎」とかやってるじゃありませんか。もちろん観に行ったりしませんが。
それで「スパイダーマン3」、これはすでにCGアニメです。それはそれでいいんですが、アクションが速すぎてなにをやってるのかよくわからなかったです。これからクライマックスというところで、例によって寝てしまうし。ウチの嫁さんによると、「とくダネ!」の小倉知昭と笠井アナも同じことを言ってたとか。ふぉっふぉっふぉっ、お仲間ですじゃ。
それでは「黄色い涙」の方を。嵐主演です。なぜそれを観たのかと言うと、原作が永島慎二先生だからです。「先生」と呼ばれる職業の人以外で、ワタシが「先生」をつけるのは、永島先生だけです。会いたくてなって、ワタシが自分からノコノコ会いに出かけた人は永島先生だけです。ワタシが持っている形見分けは、ワタシのオヤジと永島先生のだけです。身内、友人以外で墓参りをしたのは永島先生のお墓だけです。他にもいろいろ「永島先生だけ」というものありますが、今日はこの辺で。
なので「黄色い涙」には、必要以上の期待があったかというと、それはやっぱり、ファン心理というものは逆で、気むずかしいものがあります。なぜ今「黄色い涙」なのか、犬童一心監督の意図を計りかねていたんですが、永島先生のファンの犬童監督、中学生の時にテレビドラマの「黄色い涙」を観て、いつか自分でも撮りたかったとか。うーん、混じり気のない純粋な動機です。こういうのを夢を追うというんでしょうね。
人は誰かに教えられるまま、夢というものを追いかける幸福な時代があったりします。あなたにもそういう時代はありましたか?もちろん夢など追わなかった人もいるでしょう。だけど恋をして誰かを追いかけたりしませんでしたか?もし、追いかけなかったとしても、誰かをじーっと見つめたりした時はありませんでしたか?誰かを見つめたりしなかったとしても、誰かのことをずーっと考えたりしませんでしたか?そういう状態を「抒情」と言ってもいいと思いますが、永島先生の「黄色い涙」シリーズは、そういう抒情を描いたものです。この世界にある何事かに、抒情を感じる時、人はこの世を少し好きになるんだと思います。
永島先生は「夢は必ずかなう」などというウソは言いませんでした。永島先生の作品にあるのは、夢を追う人たち、夢がかなわなかった人たちの抒情です。

投稿者 いがらしみきお

2007年05月11日

バベル

この前、取材というか、ロケハンに行きました。いわゆる日本の里山の風景を撮影すべく、福島と宮城の山道や田舎道を、地図を頼りにウロウロとアシスタントのクルマで走ってきたんですが、「美しい国」などというものは、どこにもなかったです。よくわかったのは、国というものは「美しい」とか「美しくない」とか、そういうものではないということでした。
山道を走ってると、40型ぐらいのテレビが路肩にミもフタもない捨て方されてたり、タイヤだの冷蔵庫だの、突然現れるアダルトDVD&コスプレ売場だの、なんでこんな山の中にまでグラフティが、と思うような崖にもスプレーでいたずら書きされているし、そこに住んでる人も自分の庭に廃車を錆びるままにし、自転車やポリ浴槽を放置し、家は家とて、まだ荒れてない家か、荒れ果てるのに任せたか、もう誰も住んでない家です。
山も荒れてます。砂利採りで身ぐるみ剥がされたような山が道の奥に立ちはだかり、造成中で中途半端に削られた山々、かと思えば、場違いなほど立派な道路がいきなりドーンと出現したり、倒木、朽ちた枝、生い茂るツタと雑草、もう日も射さないような森、日本はまさにシュールなほど荒廃していました。
それで当初の目的の美しい里山ではなく、荒廃し朽ち果てた野山と家を撮るハメになりましたが、そこに住む人はと言えば、かあちゃんが犬を散歩させ、石屋のとうちゃんは石を削り、子どもは釣りのために川へ降りて行き、ばあちゃんは孫をおぶり、お尻をポンポンしてあげている。そして夕暮れの中、だんだん増えてくるクルマを見ながら、ワタシは「あぁ、平和だな」と思いました。
「美しい国」、「平和」、このふたつの単語をして、ワタシが、憲法改正とか、国民投票とか、靖国参拝とか、キミのためにこそ死にに行くとか、最近の世相に絡めて話を作っているとは思わないでください。ワタシはほんとは国なんてどうでもいい人間です。ただ、荒れ果てた国の中でも、そこに住んでる人を見て、「平和だな」と思った。もちろんそのとおりではないでしょうが、少なくともワタシはそう思ったので、それは圧倒的な体験としてワタシの中に残ることになるわけです。
それで「バベル」ですが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは、「アモーレス・ペロス」、「21グラム」と同じく、またまた「悲劇ウォッチャー」ぶりを発揮します。この人は人の群れの中に、悲劇を一滴ポトリと落とすとどうなるか、という映画ばかり撮ります。今回も「21グラム」同様、時系列をシャッフルした構成ですが、2度目だともうそんなにドキドキしません。だけどこの人は「ほんとのことを言ってくれる人」です。そういう人を大切にしないといけないと思います。最近の映画はそれでなくても「心にもないことを言って無責任に慰める人」ばっかりなので。ロケハンに行ったあとに、この映画を観たワタシとしては、アレハンドロの言いたいことがよくわかりました。

投稿者 いがらしみきお

2007年03月26日

パフューム-ある人殺しの物語

匂いがテーマの映画ということで、ちょっと興味深かったので、行って来ました。「パフューム」。冒頭、昔のパリはとても臭かった、という説明が出てくるんですが、確かにパリでなくても昔は臭かったと思います。
ワタシの家の周りでも、醤油屋が煮る大豆のアクのニオイ、肉屋が揚げるフライのニオイ、魚屋が焼く魚のニオイ、そして風呂を焚くニオイ、ご飯が出来たニオイ、銭湯の煙突からのニオイ、遠くは屠殺場にうずたかく積まれた家畜の頭蓋骨の腐乱するニオイから、床屋だったワタシの家の中の整髪料とパーマ液のニオイ、そして汲み取り便所の強烈なニオイ。それらが時間を変え、場所を変え、いろいろ臭っていたのを思い出します。そして五感の中でも、匂いは意識の奥深くに潜り込んでしまうような気がします。
ワタシはオヤジが着ていたアノラックのゴム臭い匂いを強烈に覚えていて、いつだったか仙台の雑踏の中、誰かとすれ違った時に、ひさしぶりにその匂いを嗅ぎました。当然、振り返ってみたりしたんですが、結局、誰の匂いだったかはわかりませんでした。たぶん死んだオヤジが歩いていたのでしょう。なにしろワタシのオヤジは遍在化するオヤジというか、世界中どこにでもいるのです。大阪でサンドイッチマンをやっていたオヤジ、東京でタクシーの運転手をやっていたオヤジ、ハワイのビーチを掃除していたオヤジ、フロリダでは現地の案内人をやっていたオヤジ、そして「パリ・テキサス」に出演していたオヤジ、みーんなワタシのオヤジでした。いや、そっくりだっただけですが。あははは。
次に憶えているのは、遠足の時に持って行くナップザックのビニールとお菓子と果物の混ざった匂いです。ワタシは小さい頃、乗り物酔いの激しい子だったので、そのナップザックの甘ったるい匂いをイメージすると、今でも「おえっ」と来ます。あ、思い出した…、ううぅ、おえぇぇっ。
そして煙りの匂いです。煙りの匂いはなぜあんなにも懐かしいのか。たぶん原体験は田んぼの稲わらを燃やす匂いとか、たき火の匂いなんでしょうが。
映像、音声、文字、五感のほとんどがデジタル化された今、匂いだけはまだデジタル化されていません。ここに匂いというものの強烈な郷愁の理由があるのかも。いわゆる最後のアナログとして。しかし、よく考えると味覚もデジタル化されてませんね。味覚もなつかしいかな。確かにワタシは田舎に帰ると、昔から食べてる近所のそば屋の中華そばを必ず食べて来ますが。とするとデシタル化されたかどうかは関係ないんでしょうね。しかし、デジタル化されると、たぶん懐かしくなくなるかも。いや、更に懐かしくなるのかな。人間てそういうもんです。
「パフューム」、衝撃的なエンディングが待っていると言われてたんですが、ワタシは必死になって笑いをこらえていました。だっておかしいだろ!あははは。ネタバレになるので言いませんが、笑われるのを覚悟でやったのならエライと思います。でも、笑われると思ってもいなかったとしたら、ダメな監督でしょう。

投稿者 いがらしみきお

2006年09月29日

実はこの「映画ゾンビ」、今回で100回目を迎えます。ほんとは100回やったら、ひとまず止めようと思ってました。しかし、自分だけ勝手に止めるわけにも行かないので、次やることについて考えたんですが、まだ構想中というか、マジでそんなことやるつもりかというか、途中で死んじゃうぞというか、絶対誰かに怒られる!というか、あれやこれやのアレコレで、結局、この「映画ゾンビ」、もう少しやります。もしかしたら117回とかで突然止めるかもしれませんが。
先日、ひさしぶりに上京しました。仕事もありましたが、お楽しみもありました。ひとつが昔お世話になった編集の人たちとの20年ぶりの再会、そしてもうひとつが、キム・ギドクの新作、「弓」を観ることです。
編集者諸子との再会、待ち合わせの場所のドアを開けると、いきなりタイムマシンから降りたような気分に。ワタシを入れて3人、お互い30歳前後の時に会ったのが最後、それぞれ50歳を越えた今はひとりがヨイヨイになり、ひとりは腰が曲がり、ワタシは補聴器をしているという有様で、なんというかお互いよく生き延びたという感慨がありました。マジで。
その後は、例によって夜の巷に降り立ち、笑い、怒鳴られ、謝り、ツバを飛ばし合い、殴られ、ヨロけ、薄くなった頭頂部をいじられました。ふぅー。
翌日、わかりにくい東京メトロに乗って、さらにわかりにくい渋谷へ。渋谷駅というのは、いったい出口がいくつあるんだろう。いつも希望の出口に出られた覚えがないっス。ブンカムラの映画館へと、携帯のナビを見ながら歩いてたら、なぜか道玄坂へ。ちがうだろ!
今の時代、映画のだいたいの内容は、観る前にどうしても知ってしまうものですが、「弓」も、そのだいたいの内容を聞いた時に、ちょっと不安になりました。聞くと、若い娘とおじいさんが海の上の釣り船で暮らしている、おじいさんと若い娘は愛し合っているらしい、そこに釣り客の若い男が現れて…というサワリなんですが、これだけ聞けば誰でもあるストーリーが頭に浮かびます。それに、これはどこかで聞いたことがある話です。ギドクには「春夏秋冬、そして春」という作品がありますが、これは世間から隔絶された山の中で、お坊さんと男の子が暮らしている。そして、こちらには女の子が入り込んできて、世界が乱されるという話です。えー、ワタシは「春夏秋冬、そして春」が嫌いでした。あははは。それが結論でしょうか。
しかし、「弓」には名シーンがあります。みなさんはエア・ギターって知ってますか?それからエア・ボーカルも知ってますか?では、エア・セックスは?ぷっ、ふふふふ。

投稿者 いがらしみきお

2006年09月19日

メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬

ワタシは元来、南米に弱いです。死ぬ時はメキシコの荒野で犬のように死にたいとさえ思ってるぐらいのバカヤローです。ワタシの死を誰も知らない、誰も悲しまない、誰も思い出さない、それは男として理想的な死に方ではあるまいか。などと言いつつも、いざ本番の時には、死に切れずに「水ぅ、水ぅ」とかわめきながら、サボテンの針だらけになって這い戻ってくるだろうヤツでもありますが。
ですからハリウッド映画、永遠のパターンである「国境を越えてメキシコへ」の図式で描く「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」も、ぜひ劇場で観たかったんです。脚本も「アモーレス・ペロス」、「21グラム」のギジェルモ・アリアガだし。
しかし、「親友の死体を担ぎ、埋葬のために国境を越えてメヒコへ、しかも殺した犯人同行付き」という、ワタシにとってはすでに、「ヤリすぎ」とさえと言えるぐらいのシチュエーションが、逆に二の足を踏ませたのでした。もしかしたら古き良き西部劇のムードにゲボゲボ溺れてるのでは?監督もトミー・リー・ジョーンズだそうだし。という一抹の不安感があったのですが、そんなワタシの予断など、まったく濡れ衣も甚だしい、人種差別とさえ言えるぐらいの偏見でした。ごめんよ、トミー・リー。
どういう映画かというと、「人はみんなさびしいよ」、「人はみんな年をとるよ」、「人はみんなひとりだよ」という「人はみんな映画」です。または、センチメンタルについての映画かもしれません。登場人物みんなが「遠くを見るような目つき」をします。遠くを見るような目つきをする時、人はセンチメンタルの中にいます。なにもしていない時を恐れるように、携帯したり、iPodしたり、パチンコしたりする現代人ですが、もっと遠くを見るような時間を持つといいんじゃないでしょうか。センチメンタルは人を磨きます。大きなお世話でしょうが。
ワタシはこの季節、コスモスを見るにつけ「ふしぎな花だなぁ」と思ってきました。あの三次元の妙な枝ぶりはともかく、コスモスの原色の色は日本の自然にはない色です。絵の具で言うと、乾いた上から少し黄色を塗るととあんな感じになります。もともと外来植物で原産地はメキシコだそうですが、コスモスの淡いけど強く深い色を見るたびに、なんだかワタシはトリップするのです。「どこに」と言われると、ちょっと一言では言えないところに。なんだか強烈な郷愁も感じるので、かつて夏の終わりの夕暮れの中で、はじめて見たコスモスでも思い出すのかもしれません。
それで注意して観ていましたが、この映画の中にも出て来ます、コスモス。犯人が逃げまどう荒野の中に咲いています。ワタシはそのコスモスにも、ちょっと郷愁を感じましたが。

投稿者 いがらしみきお

2006年08月10日

力道山

映画館まで行こうかと思ってたんですが、結局行きそびれてしまった「力道山」、主演のソル・ギョングは驚愕映画「オアシス」で、驚愕の主人公にして、驚愕のレイプ・シーンを演じてみせた、驚愕の名優です。この「力道山」でも体重を増やし、マッチョに変身して、見事に日本語をしゃべって見せます。でもシナリオがほどよい伝記物になってしまっていて、ピカレスクとしての力道山を期待したワタシとしては、ちょっと残念です。今まで書かれた本や人の談話を読むと、リキドー、もっとひどいヤツだったんだけどなぁ。それをソル・ギョングが演じたらおもしろかったのに。
もう一本、ついでだからこれまた朝鮮の英雄である大山倍達の若き頃のフィクション「風のファイター」も観ました。え?平山あやが出てた?うーん、そこに行き着くまでに寝てしまいました。あははは。でもなんで平山あやなのよ。
困ったなぁ。最近は夏休みのお子チャマ映画ばかりなので観たい映画もないっス。51歳のオヤジがひとりで「ゲド戦記」観に行くという図もどうかと思うし。
そうそう、ひさしぶりに漫画本を読みました。ワタシがかねてより畏敬し敬愛していた吾妻ひでおの「うつうつひでお日記」です。その前に読んだ漫画本というのが、同じく吾妻ひでおの「失踪日記」なので、ワタシここ10年ぐらい、最後まで読んだ漫画本というと吾妻ひでおだけです。その「うつうつひでお日記」を読んでたら、拙著「Sink」のことを誉めてくれていたのでとてもうれしかったです。しかもオカネがない頃なのにわざわざ買ってくれていたとは。不覚にも落涙。「失踪日記」を読んでた時もそう思いましたが、「うつうつひでお日記」に出てくる吾妻ひでおをうしろから抱きしめたくなりました。吾妻さん、漫画家なんてどうせそのうち仕事なくなるか、死んでしまうか、どっちかなんだから。
本をもうひとつ。その昔ワタシがエロ劇画誌に描いていた頃の担当だった人が書いた本です。本屋の棚で「出版業界最底辺日記」というタイトルを見た時、「多田さんとか山崎さんとか塩山さんが書いた本じゃないだろうな」とか思って手にとったら、まさにそのひとり、塩山芳明氏の著作でした。本書いてたとは知らなかったので驚愕。まさに街でバッタリ20年ぶり!みたいな出来事です。塩山さん、誰にでも毒づくのが芸なんですが、この本でも周囲360度に毒づいてます。ワタシも連載やめさせてもらう時に「てめえは言語障害のジャイアント馬場か!」と毒づかれました。でも塩山さん、ここまで読書家だったとは。そしてなんつうかカッコイイっス。自分の生き方やめねえもん。20何年前、西川口のアパートに多田さんと山崎さんといっしょに泊めてもらって、朝メシに食わしてもらったカレーの味が忘れられません。部屋の中に飾ってあった映画ポスターと本棚の中の花田清輝全集をからかったワタシが未熟者でした。なんつうか、夜、新幹線通勤で群馬に帰って行く塩山さんをうしろから抱きしめたくなったっス。ありがとございしたあぁ!!

投稿者 いがらしみきお

2006年05月25日

ヒストリー・オブ・バイオレンス

ようやく仙台に来ました、クローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」、仕事もアタフタと切り上げて街中の映画館へ。午後に見た地元ベガルタ仙台のホームゲームも5−1という久々の大勝だったため、割といい感じで映画館入りしました。オープニングは不安と不吉と不快と不機嫌をはらんだワンシーン・ワンカット。いいじゃない、いいじゃないクロちゃん。なんか久しぶりに「映画がはじまった」という感じがしました。
役者もいいです。ヴィゴ・モーテンセン、ウイリアム・ハート、そしてエド・ハリス!こりゃぁガチンコだな、という雰囲気がプンプンします。嫁さん役のマリア・ベロも人妻っぽくていいです。ヴィゴさんのためにわざわざチア・ガールのコスプレしてくれたりする出来た嫁です。
ネタ自体は昔の西部劇というか、健さん映画のパターンでしょう。過去を消して、今は地域社会の良き住人として生きている元組織の人というかヤクザというか殺し屋というか。それがある事件をきっかけにマスコミで報道され、昔の仲間が居場所を嗅ぎつけてやってくる。最初はトボけつつも、家族にちょっかい出されて家庭崩壊寸前。とうとうキレて組織の根城に殴り込み。いよっ、待ってました、健さん!と掛け声が飛びそうな展開ですが、そういうカタルシスはなくて、後味が悪いというか、つまりガチンコの健さん映画になってます。
とにかく「バイオレンス」と「ラブ」、そのふたつの出し入れがシンプルで、無駄な展開がありません。原作がアメコミだということもあるんでしょうが、クローネンバーグがこんなにわかりやすいものを撮るとは思っていなかったのでびっくりしました。いつもの猟奇的器具とか性的トラウマとか尻の穴にしか見えないものとかは一切なしです。
この映画を見て、「クローネンバーグはブッシュのやったことを容認している」とかいうタワケた人もいたそうですが、そんなスピルバーグみたいなことをやりたいわけじゃないでしょ、クロちゃんは。
つまりクロちゃんが言いたいのは、バイオレンスはなくならないし、貧困もなくならないし、差別もなくならないし、いじめもなくならない、だからそれを子供にもちゃんとそう教えなさい、その上で生き延びて行くしかないんだから、この国には希望がないとか夢がないとか自由がないとか、グダグダ言ってねえで、まず目の前にいるそのアホウをぶん殴って逃げちまえ!ということだと思います。うーん、ちょっとちがうかな。でもこの映画はぶん殴って逃げてしまったあとの映画なんですが。

投稿者 いがらしみきお

2006年05月18日

春の雪

さて映画を観に行かねばならん、と思って出かけた土曜の夜、結局、本屋をウロウロして晩飯食っただけで帰って来てしまいました。リュック・ベッソンの「アンジェラ」か、ジョージ・クルーニーの「グッドナイト&グッドラック」でも観ようと思ってたんですが、シネコンのチケット売場がやたら混んでいて、「トム・ヤム・クン」か「海猿」でも観にきたとおぼしき人々がカンフーの型やりながらゲハゲハふざけ合ってたり、パーカッションとしか思えないような最近流行りのサンダルを履いた女の人が、わざとらしくカンカンカンカン足音を立てながら行き交うのを見て、早々に退散しました。昔の映画館だと、この映画を観にくるのはこういう人だろうとか読めてたもんですが、もうシネコンだとそうは行かないです。同じ場所でいっしょに時間を共有するのさえ躊躇われるような人も多々見かけます。これではまるで飲み屋じゃねいか。あぁ、オレどんどん日本とシネコンが嫌いになるなぁ。
それでDVDで半分だけ観た「春の雪」をレビューしたいと思います。「半分しか観てないのにレビューするな!」という声が聞こえそうですが、まったくです。しかし、竹内結子を観たかっただけなので半分観れば十分です。十分なわけねいですが。
前にもこういう見方をした映画があります。「北の零年」です。これも行定勲監督でしたね。この時も吉永小百合を観ようと思って借りたんですが、やはり半分ぐらいで返してしまいました。よくなかったのかと言えばそんなことはないです。吉永小百合も竹内結子もとても美しく、行定監督は女優を撮れる数少ない監督だと思いました。しかし、なんと言っても、「北の零年」で描かれる物語と「春の雪」で描かれる物語にワタシは興味がないので半分だけ観て返してしまったというわけです。
「北の零年」はともかく、「春の雪」は三島由紀夫の原作です。実はワタシ、昔から三島の小説ってわかんないんです。なんでこんなことで悩んだり苦しんだりしてるのか、三島本人もなんで自衛隊で切腹したりしなけりゃなんないのか。例えはよくないかもしれませんが、最近あった平塚5遺体事件の容疑者の岡本千鶴子というおばはんから見たら、こんな世界チャンチャラおかしいんじゃないでしょうか。あ、ワタシ、世の三島ファンに殴られるかもしれない。すみません、とんでもない暴言してしまって。
ワタシが今、ワールドカップよりも興味があるのはこの岡本千鶴子です。この人の自伝を映画化するんならまた行定監督にやってもらって、岡本千鶴子役の女優さんを美しく美しく撮っていただきたいと思います。

投稿者 いがらしみきお

2006年05月12日

ブロークン・フラワーズ

うーん、前回のを読み返してみると、やはりちょっと熱が出てたみたいで、なんか変に調子コイてました。実はカゼ、まだ治ってないんですが。
えー、今回は「ニューワールド」にしようか、「ブロークン・フラワーズ」にしようか迷いました。でもシネコンだと「この人が隣の席だとオレ困る」という感じの人が最近多いので、町中の映画館でやっているジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」の方にしました。カンヌ映画祭グランプリ受賞だそうで、そのつもりで観たわけではないんですが、これがグランプリと言われると、そういうもんなのかなという感じです。おもしろくないということはないですけど、なんというか、口下手なヤツと2時間いっしょにいたような、もっと話すことあったんじゃないの、というか、なんか心残りがあります。でもジャームッシュなんだからこれでいいのかも。
この前、「火火」という映画をDVDで観たんですが、田中裕子演じるところの陶芸家の先生が、弟子の作っているモノを「うまく作ろうとするな!」と言いながら、グシャグシャ潰してしまいます。この「ブロークン・フラワーズ」だったら、その先生にも誉めてもらえるかもしれないですね。それだけルーズというか、シンプルというか、アッケラカンです。いや、やっぱりグシャグシャにされたりして。
ジャームッシュはいつもこんな感じだと言えばそうなんですが、その前に観た「女優のブレイクタイム」と「コーヒー&シガレッツ」には、サスペンスというか緊張感というか、ジャームッシュにもっとも似つかわしくない言葉で言えば、「野心」というものを感じました。「ゴースト・ドッグ」を観た時もそうでしたが。野心がなくなったジャームッシュはウディ・アレンになってしまうと思います。
いや、はっきり言っちゃうと、ワタシ最近のビル・マーレイは好きじゃないんです。もともとそんなに好きじゃなかったですが。この映画のビル・マーレイは演じることを放棄してるというか、まさに「うまく作ろうとしていない」見本のようなものじゃないですか。このビル・マーレイだったら、田中裕子の陶芸の先生にも誉めてもらえるんでしょう。いや、いつにも増してグシャグシャにされたりして。あははは。ワタシに言わせれば、この映画のビル・マーレイのようなやり方が一番「うまく作ろうとしてる」ように見えるんですが。
ワタシなんかはデビュー以来、いつも色気出して「うまく作ろう、うまく作ろう」としてきました。だから田中裕子先生には一生認めてもらえないでしょう。ただ、「うまく作ろうとしなくなる」のは「うまく作ろう、うまく作ろう」の果てにしかないものだと思います。

投稿者 いがらしみきお

2006年03月17日

リンダ リンダ リンダ

ペ・ドゥナが出てるので借りてきました、「リンダリンダリンダ」。高校生が文化祭のためにガールズバンドをやる話です。ワタシも中学の時には文化祭や予餞会というと、バンドやるかコントやるかしてました。この映画、娘といっしょに観たんですが、実は娘もついこの間までは「バンドやりたい」とか言ってたんです。家にはワタシのギターとかベースとか楽器はあるので、勝手に弾いてみたりするかと思ってたんですが、密かに弦を買ってみたりはしても練習してる形跡はない。娘の場合、ともだちとバンドやりたかっただけなんでしょうね。ワタシの場合はただただギターが欲しかっただけですが。あと歌をうたいたかった。ギターがあって歌をうたえればワタシは満足でした。働くようになってからバンドもやりましたが、田舎だと他に草野球ぐらいしかやることないんで。ワタシは両方やってましたが。
そのバンドをやってた時期については、この映画で描かれているとおりという感じで、恋あり、ケンカあり、場所のとり合いあり、路線論争、家出、失踪、やめるヤツ、来るヤツ、モーテルでの酒盛り、夜明けの海、クルマの中で過ごす一夜、感電事故、交通事故、てめえらにパンクのなにがわかる!オレはドブネズミじゃねえ!などなど、バンドを一回やればひととおりの青春は味わえます。ま、こういうことは若い時にやらないと楽しめないと思いますが。
山下淳弘監督の言うとおりに「これ以上でもこれ以下でもない高校生活」を描いてます。そのために演技する人もみんな作りすぎないでいい案配です。香椎由宇がこんなにいい役者だとは思わなかったです。やっぱテレビだけ観ててもわかんないですね。あと「ローレライ」とかも。あははは。
学校というのは小学校、中学校、高校、大学と、どんどん川幅が広がっていく川のようです。そしてしまいに社会という海に出るというか、なんかベタベタに図式的な考えですが、「川の流れのように」ってなんにでも当てはまりますね。その川を下ってる最中に人は泳ぎ方を覚えるわけで、結局うまく泳げないヤツもいれば、途中で陸に上がってしまうヤツもいるし、川底に沈んだままのヤツまでいるかもしれないっス。でも人間、海に出てからの方が長いんだじぇー。えー、今回は「いがらしみきおの青春指南塾/バンド殺し油地獄篇」でしたぁ。

投稿者 いがらしみきお

2006年02月27日

赤目四十八瀧心中未遂

以前、本屋をブラブラしていたら、「最後の私小説」という文字が目に飛び込んできました。タイトルではなくて本の帯かなんかのコピーですが。「私小説」、まだ私小説とか書いてる人がいるのかな、と思って手にとったのが車谷長吉という小説家の本です。ワタシ、恥ずかしくも小説というか文学というものは、私小説から入ってます。太宰治とか檀一雄とか島尾敏雄とか。あー、逃げないでください。なんにもしませんから。
最近はもう読んでません。物理の本とか宇宙の本とかばっかりで、小説だってふつうの人が読む本を読んでます。「東京タワー」とか「空中庭園」とか「半島を出よ」とか。いや、白状します。車谷長吉の前に佐伯一麦という人の「鉄塔家族」とか読みました。これも私小説だと思います。すみません。いや、勝手に謝ってすみません。
私小説というのはなんで忌み嫌われるんでしょう。忌み嫌われてないかもしれませんが。車谷氏に言わせると、私小説なんか書くのは業というか、そんなヤツは悪人というか、書いてても苦しくてしょうがないそうです。事実、車谷氏、貧困と放浪の挙げ句、幻覚を見るようになり、強迫神経症を煩い、病院通いすることになってしまいます。それで「このままでは死んでしまう」ので、「私小説はもうやめよう」と一大決心し、何度か落とされた芥川賞をあきらめて、直木賞狙いで書いた小説が「赤目四十八瀧心中未遂」。これが見事直木賞を授賞し、映画にもなったというわけです。
「赤目四十八瀧心中未遂」、小説の方は文章がかっこいい。かっこいい文章だと思います。内容は大阪心中モノです。それを読んだ荒戸源次郎が「ぜひ私に映画化を」と言い、寺島しのぶが「映画化する時はぜひ私にあやちゃん役を」と言ってきたそうです。それで荒戸源次郎監督、寺島しのぶ主演で映画化され、03年の毎日映画コンクール日本映画大賞と、ブルーリボン賞作品賞を授賞し、主演女優賞とか助演女優賞とか新人賞とか撮影賞とかモロモロモロモロ授賞し、ワタシが今頃DVDで観たりしているというわけです。
荒戸源次郎、原作に惚れ込んだためか、内容はほとんど変えていません。結局、「心中未遂」なので心中は思いとどまります。そして帰りの電車の中で男だけ残して、突然、女、あやちゃんは電車を降りてしまう、小説も映画もそれがエンディングです。そのあとあやちゃんはどうしたのか。ポスターだったかパンフだったかには滝壺に白い女が浮いている。それが荒戸源次郎が考えた結末なんでしょう。

投稿者 いがらしみきお

2006年02月14日

ミュンヘン

スピルバーグの「ミュンヘン」です。いや「スピルバーグのミュンヘン」というタイトルじゃないですよ。あははは。昔は「スピルバーグのグレムリン」とか、スピルバーグはプロデュースしただけなのに、タイトルになんでもかんでも「スピルバーグの」がついたもんですが。
知らない人のために言っておきますが、1972年のミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手団11人がパレスチナゲリラに監禁された挙げ句、全員射殺されるという事件がありました。そしてスピルバーグはユダヤ人です。そこに因縁を読みとるなと言っても、「シンドラーのリスト」の時を見るまでもなく、それは無理というものでしょう。
スピがミュンヘン・オリンピックのテロ事件を撮るらしいというニュースを聞いた時、あんなのどうやって映画にすんのよ、と思った記憶がありますが、スピルバーグはテロ事件そのものよりも、なるほど、イスラエルの情報機関モサドがテロ事件に関わったゲリラたちに報復するドラマの方を撮ってます。これはどう考えても復讐ドラマです。しかも某映画雑誌によるとバイオレンスたっぷりだそうで、「来るな」と言っても、血の匂いを嗅ぎつけたワタシの耳にはもうなにも届かず、夜の闇に放たれた一匹の野獣がジリジリとシネコンに近づいて行くのでぃした。ぐふふふ。
スピとバイオレンス、前回の「宇宙戦争」では完全に肩すかし食わされたので、今回もやっぱり半信半疑でしたが、一応やってました、バイオレンス。特に新しい驚きはないものの3時間弱のドラマながらワタシは居眠りもせずに完走しました。だけどほんとにモサドがこんなナイーブなヤツをこんな重要な任務につけるかな。モサド最強論者の落合信彦先生が見たら怒り出すこと必定。見ようによってはこの映画、単身赴任スパイ残酷物語でしかない。そしてエンディングには「暴力は暴力しか生み出さない」というメッセージとともに、9.11に消失した貿易センタービルのツインタワーを遠景に出してきます。この演出はベタです。しかし、それ以上にベタなのは「暴力は暴力しか生み出さない」というメッセージでしょう。もしなにかメッセージとか言いたい人は、そのメッセージもちゃんと自分で考えてよ、というのがワタシの持論です。これでは「暴力は暴力しか生み出さない」というメッセージを考えた人のパクリであるばかりか、「暴力は暴力しか生み出さない」という言葉をますます陳腐にしてしまう行為でしかないと思います。それ以上に、我々は「暴力は暴力しか生み出さない」ということをもうわかっている。ウンザリするぐらいわかっているのにどうやってもそれを変えられない、それが我々の現実であるはずです。これでは、飢えて今すぐ死にそうな子供たちをテレビの前に座らせて、例の3秒に1回指パッチンしてみせる有名人の映像を見せてやるのとどこがちがうのか。スピのバカ。
アジアの映画をハリウッドでリメイクするのが流行ってますが、この「ミュンヘン」、パク・チャヌク監督に復讐3部作海外編として逆リメイクしてもらいたいもんでぃっす。

投稿者 いがらしみきお

2006年01月16日

ヒトラー 最期の12日間

バカ忙しい上に、アシスタントがインフルエンザに罹ってしまい、自分も罹患する地獄への予感の中で観ました。「ヒトラー 最期の12日間」。よりによってこんな不穏な時にこんなヘビーなものを観なくてもよさそうなもんですが、ひとり毛布にくるまりながら観ました。これが吉と出てインフルエンザに罹らないか、凶と出て熱と咳で頭モウローとしながら仕事するか、まぁ大概は頭モウローの方ですが。
たぶんコレいい映画なんでしょう。だけどもうワタシはこういう映画を撮る人の気持ちがわからないんで。ではワタシはなぜ借りてきたんでしょう。なにを期待してたんでしょうか。うーん、そう問われるとちょっと困りますね。自分で問うてるんだけど。
ヒトラーをひとりの人間として捉えているので、その辺が論議を呼んだとか言うんですが、ワタシ、そんなことどうでもいいです。たぶんみんなそうでしょう。今や映画でそんなことグダグダ言うのは何かの関係者か、なんでもいいからネタが欲しいマスコミだけです。
ヒトラーを人間として扱ったろうがなんだろうか、ヒトラーはもともと人間なんで当然のことです。結局、ヒトラー、あんたどんな気持ちだったのよ、というのがこの映画を観る場合のモチベーションでしょう。で、ヒトラー、どんな気持ちだったかというと、なにもかもウンザリして死んだみたいです。
実はこれを書いてる1月13日はワタシの誕生日でした。今年は13日の金曜日です。ヒトラー、オレおまえの気持ち少しわかるよ。

投稿者 いがらしみきお

2005年12月13日

受取人不明

またまたキム・ギドク。新作ではありません。2001年の作品です。ベネチア映画祭に持って行ったとか。
韓国米軍基地とその周辺の人々の話なので、当然テーマは、戦争なんかやるからこうなったとか、米軍基地なんか作るからこうなったとか、貧困と差別が悪いんだということになります。でもメインテーマはたぶん意志伝達の齟齬とかいうものでしょう。とにかく「思ったこと」「言ったこと」「やったこと」が相手や周囲に伝わらない。当然みんな泣いたり暴れたり死んだりします。キム・ギドクの映画をなぜワタシが見続けるかというと、懐かしいからです。この「意志伝達の齟齬」の世界というのは、ワタシの子供の頃の田舎の風景でもあります。オヤジは無口で酒乱で、おっかぁは貧乏で働きづめで、子供同士は殴ったり殴られたり、話さなければいけないことをみんな口で言わないで、不機嫌に黙り込むか、誰かを攻撃するだけの毎日。
いつしかオヤジは酒乱のまま年老いて、今はヨイヨイの寝たきり、そのオヤジをいやいや面倒を見ているおっかあと子供たちは、過日の虐待された怨みをはらすべく、ここぞとばかり寝たきりのオヤジをいじめまくる。これは今もこの日本で繰り返されていることです。六本木ヒルズだけが現実ではないのでぃっす!
どうして話し合おうとしないのか。それはどう話せばいいのかわからないからです。ワタシも中学生の頃、「まぁ、話す合うべ」と言ったら、「なぬかっこつけでんのや!」といきなり殴りかかられました。きやつら、「話し合おう」などと言う人間は信じられないというか、口先だけで誤魔化すヤツだとしか思えないのです。まぁ、ワタシはそのとおり口先だけで誤魔化すヤツでしたが。あははは。
余談ですが、今世間を騒がせている姉歯ってワタシの高校の後輩でして、小島ことオジャマモンは隣り町のヤツでウチのアニキの後輩らしいです。彼らも今ワタシが言ったような世界で育って来て、そこからなんとかして逃げ出そうとした男たちなんでしょう。逃げられなかったのか、逃げ方を間違ったのかは知りませんが、とにかく二人ともあそこから逃げようとしたというところで、まちがいなくワタシと同じヤツだと思います。
キム・ギドクの映画は懐かしいです。そこに映る風景をもちろんワタシは知りませんが、「魚と寝る女」の湖上のバンガロー、「悪い女」に出てくる海辺と寂れた下宿屋、「悪い男」に出てくる路地裏と売春窟、「サマリア」のふつうの人の住むふつうの家、そして「受取人不明」の粉雪舞う田圃、小さく張った氷とその下の泥濘、その田圃の向こうに広がるカラカラに乾いた国道、なにもかもが懐かしいので、キム・ギドクもたぶんそこから逃げてきた人なんじゃないでしょうか。

投稿者 いがらしみきお

2005年11月25日

もし、あなたなら〜6つの視線

またまたまた韓流です。しかし、すげい邦題っスね。「もし、あなたなら〜6つの視線」ですから。これ原題はなんていうのかなぁ。ハングルなんでわかりません。英題は「If you were me」だそうです。なんでも人権をテーマにした6つのエピソードを韓国の6人の監督が撮っています。そのうちのひとつがパク・チャヌク監督だったので、借りてきました。でもこれ7月に出たDVDですね。すみません、今頃。
パク監督のパート「N.E.P.A.L. 平和と愛は終わらない」、テーマの「人権」と、このタイトルだけ見ると、まるでベタな啓蒙映画のように見えますが、これ実話だそうで、韓国の工場で働いているネパール人のおばさんがラーメンを食ったところ、サイフを忘れてきたため無銭飲食と誤解されて警察に通報され、ロクに韓国語も話せない上に、顔が韓国人のような顔だったため、精神障害の人に間違われてしまい、外国人とは知らないまま6年4ヶ月もの間、精神病院とかをたらい回しにされた事件だそうです。ワタシも昔、似たような4コマ漫画を描いたことがあります。銀行に押し入った犯人が意味不明のことばかり言うので精神障害者だと思われるんですが、そのうちインド人だったことが判明する話です。うーん、字で説明するとおもしろくないですね。
このおばさん、どうやって助け出されたかというと、何年もしてから、ようやくおばさんの話すネパール語がわかる人が出てきたからだそうで、まるで「ミッドナイト・エクスプレス」のような話です。でも今はネパールに帰って元気な姿を見せてます。結局、これは復讐三部作とかバイオレンスとかとは一切関係ない話なんですが、パク監督が一番好きな作品だそうでその気持ちはよくわかります。
他のエピソードでは、「子猫をお願い」のチョン・ジェウン監督の「その男、事情あり」。おねしょの話なんですが、とてもおねしょの話とは思えない作品になってて、なかなかおもしろいです。韓国映画というと、ラブストーリーにしてもコメディにしても、極北に向かって突っ走って、激突して血塗れになってナンボという傾向があるんですが、それが時々、残酷な描写や、心身障害者を題材にしたものに伺えます。このオムニバスでも、英語の「R」をうまく発音できるようにするために、子供に舌の手術をさせるエピソードがあって、その手術シーン、これ本物なんじゃないでしょうか。痛いです。うぐぐ。
あと、脳性麻痺の人がソウルのひっきりなしにクルマが飛び交う巨大な道路を、抗議のためゲリラ的に松葉杖で横断する「大陸横断」という話もあります。見事横断できるかどうかはみなさんの目で確かめてください。
他の作品もなかなか無視できない存在感があって、タイトルの腰砕けアダルトチルドレンみたいなニュアンスとは全然別なものです。なんでこんなタイトルにしたんだろ。

投稿者 いがらしみきお

2005年09月30日

サマリア

「サマリア」、キム・ギドク監督です。ベルリン映画祭銀熊賞を獲ったそうです。以前、ギドク監督は必ず売春シーンを出すとか、女の人は必ず売春すると思ってる、とか独断偏見流言飛語を書きましたが、今度は当然というか、やっぱりというか、エンコーです。「親切なクムジャさん」のパク・チャヌク監督が復讐三部作なら、キム・ギドクは売春三部作、というよりも売春がこの人の永遠のテーマになってるのかなぁ。うーん、すげい。
しかし、この「映画ゾンビ」で、キム・ギドクの作品をやるのは2回目です。スピルバーグだって、イーストウッドだって、1回しかやってません。やっぱワタシってギドクさんを好きなのかなぁ。第一全部観てるし、これって言い逃れ出来ませんよね。いや、言い逃れしようとは思ってないけど。
それにしても映画というものの基本は見せ物というか、スキャンダラスだと思うので、そういう意味では、前に言った西のギャスパー・ノエ、東のキム・ギドクという、世界スキャンダラス映画番付東西両横綱は動かせないと思います。昔は西のヤコペッティ、東の石井輝男だったんですが。あははは。石井輝男も死んじゃいましたね。合掌。DVDボックス欲しいです。
で、「サマリア」ですが、とにかく女の子二人がいい。なんでもアラーキーで写真集出すそうですが、うーん、それも欲しいです。
内容については、キーワードだけ出すので、それでわかったつもりになってください。キーワードは7つです。女の子ふたり、売春、マザー・テレサ、男はみんなバカばっかり、父と娘、贖罪、クルマの運転覚えろよ、という感じで。

投稿者 いがらしみきお

2005年09月10日

アビエーター

「アビエーター」っす。スコセッシっす。DVDで観る作品じゃないかもしれませんが、どうしても劇場まで行く気になれませんでした。前作「ギャング・オブ・ニューヨーク」は、長尺3時間弱の大作の上に、あまりのベタな展開に爆睡後途中退場してしまいましたが、今回またしても3時間弱。しかも主演は同じデ・カプリオ。どうしたって用心します。
結局、寝るんだろうなぁ、と思いながら観てたら、やっぱり寝てしまいました。なので中盤どういう展開があったのか、よくわからないんですが、思ったよりよかったような気がします。全部観てないので「気がする」だけですが。
ハワード・ヒューズの伝記映画ということで、日本で言うとHONDAの創始者の本田宗一郎の伝記映画のようなもんでしょうか。そう考えるとワタシなんか絶対観に行かない映画ですね、これ。まぁ、本田宗一郎は映画も撮らなかったし、航空会社も買収しなかったし、飛行機で世界一の記録も作らなかったし、女優と結婚もしなかったし、潔癖性の病気もなかったし、なにより自分の力でお金持ちになったわけですが。
観てて思ったのは、このハワード・ヒューズ、大金持ちの家に生まれなかったら、どうなってたのかということです。マイコン好きが高じて、BASICを開発して、行く末はマイクロソフトとかいう会社を作ったりしたでしょうか。ワタシの子供の頃、近所の呉服屋のせがれが「ウチは平家の末裔なんだぞ」とか言って、みんなに殴られたりしてましたが、そいつとどっこいどっこいの人生を歩んでたかも。
ハワード・ヒューズ、最後は20年間、世間から姿を消してしまい、死んだ時は誰もそれがハワード・ヒューズだとはわからなかったとか。それが大金持ちの家に生まれなかった方のハワード・ヒューズの姿だったかもしれませんが、この「アビエーター」、その手前で終わってしまいます。ワタシとしては、その後の20年間を描いた「アビエーター2」の方をこそ観たいもんですが。

投稿者 いがらしみきお

2005年08月08日

パッチギ!

井筒監督の「パッチギ!」です。映画館に行けなかったのでDVDで観ました。
映画の中の時代は1968年、というとワタシが13歳の頃、登場人物と年齢的にもそんなにズレてないので、劇中歌である「スワンの涙」とか「イムジン河」とか「悲しくてやりきれない」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とか耳に入ってくると、もう条件反射的にその頃の映像が頭の中に浮かんできます。どんな映像かというと、遠くの山だったり、真冬の夕暮れだったり、誰かの家だったり、どこかの狭い路地とか、あとはたぶん女の子ですね。あははは。そこで浮かぶ女の子のイメージと、キョンジャ役の沢尻エリカのイメージは実にダブってます。
他にワタシの条件反射的楽曲というと、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」と、ボブ・マーリーの「エクソダス」があります。この2曲なんかはイントロが聞こえてくるだけで、ワタシは立ち上がってしまいます。えー、おもしろがってワタシのそばでこの曲をかけたりはしないでください。
朝鮮高校というと、確か宮城県の方にもあったと思うんですが、いわゆる朝鮮人差別というか、日本人差別というか、東北の方ではどうだったんですかね。「パッチギ!」に描かれているようなことが…うーん、たぶんあったんでしょうね。ワタシが知らないだけで。
ワタシも受けた恨みをなかなか忘れないタイプなんで、アレなんですが、時代は変わります。50年、いや、たった30年で、自分を含めたほとんどのことが変わってしまいます。ワタシが年をとってなんかわかったことがあるとすれば、時間というか、歳月というか、それってなんか圧倒的だということです。その圧倒的なものに、ただ流されるだけじゃイヤなので、誰かを恨んだり、ケンカしたり、子供産んだり、歌をうたったり、沢尻エリカっていいなぁ、とか思ったりしてるんでしょうね、我々は。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月30日

ライフ・イズ・コメディ!/ピーター・セラーズの愛し方

「ライフ・イズ・コメディ!ピーター・セラーズの愛し方」です。なんかとんでもない副題ですね。ピー・セラの映画だということをウリにしようとしたんでしょうが、ピー・セラのファンてそんなにいるのかなぁ。まぁ、ワタシはファンでしたけど。
でも、どうせだったら、「愛し方」とかより、もっと謎めいて「ピーター・セラーズのアレ」とかにした方が、ツカミがいいんじゃないでしょうか。「アレ」ってなんなのか確かめたくて、観にくる人だっているだろうし。「スターウォーズ」なんかも、いつも「攻撃」とか「復讐」とか、ミもフタもない副題ばっかりなんで、「シスのアレ」の方がよかったと思います。
まぁ、マクラはこんなところで、本題の「ライフ・イズ・コメディ!」、これはDVDです。劇場で観たかったけど、仙台でやったのかなぁ。シネコンばかりになったら、結局、観たい映画が来なくなりましたね。最近はどこもかしこも「シスのアレ」ばっかりで。
ピー・セラって「チャンス」に出た後、いきなり死んだみたいに思ってたんですが、心臓が悪かったんですね。でも、結局、天才肌だったんだ。ドラッグやって、マザコンで、自分勝手で、家庭を省みない、きれいなおねえさんが大好きなヤツ。
以前、東京に行った時、ちょっと時間が余ったのでレイ・チャールズの伝記映画「レイ」を観たんですが、こっちも、そっくりそのまま、ドラッグやって、マザコンで、自分勝手で、家庭を省みない、きれいなおねえさんが大好きなヤツに描かれてました。結局、なにを見せたくて、こういう映画を作るんでしょうね。サブ・カルチャーのスターの人生として、ピー・セラもレイ・チャも、まったく型どおりの生き方なんだから、もうわざわざ見せてもらわなくてもいいんですが、こういう人生になんらかの美意識を刺激される人って、未だにカッコよくくわえタバコする人なのかも。
しかし、死んだあと雪の中に立ちつくすピー・セラこと、ジェフリー・ラッシュはよかったです。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月20日

ヴィタール

「ヴィタール」です。塚本晋也監督です。これもDVDでした。
「記憶を失った医学生が記憶を取り戻すために解剖実習にのめり込む」という、なんかわからないけど、いいプロットですね。
それで、結論から言うと、これも途中で寝てしまいました。すみません。DVDで観ると、ほとんどの場合、ワタシは寝てしまうので、これからは寝てしまった時点で、どう感じていたかで、評価しようと決めました。「ヴィタール」、これも「おもしろいな」と思いながら寝てしまったんで、おもしろいはずです。とか言っても信じないでしょうね。いや、信じてもらわなくていいんです、こんな映画評。
だけど、塚本監督の映画って、いつも雨が降ってるようになったのはいつからかなぁ。あと、出てくる人がみんな死んでる人みたいに見えるんですが。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月16日

砂と霧の家

あー、今頃こんなのレビューしてる。まぁ、昨日DVDで観たもんですから。
家の所有権を巡る話なんですが、ジェニファー・コネリーが出てなかったら、観なかったでしょうね。
確かに家を巡る話ではあるんですが、結局、これオカネの話だと思います。家をとられたジェニファーもオカネがない、家をとったベン・キングズレーもオカネがない、オカネさえあれば、すべて解決するとは言わないけど、こんな話はなかったことになる。
オカネさえあれば、ジェニファーも働かないでいられるし、好きなだけタバコ吸えるし、好きなだけお酒も飲める。ベンもオカネさえあれば、隠れて日雇い仕事やらなくてもいいし、別荘も取り返せるし、また上流階級の仲間入りもできる。
「オカネがない話」を「オカネがあったら」ということにしてみると、この映画のテーマもなんとなく見えて来ますね。結局、ジェニファーも、ベンもみんな不幸になるエンディングなんです。それがこの映画の限界かもしれないですけど。
ところで、なんでこの映画のレビューをやろうと思ったかというと、確かに「昨日観たから」というのもあるんですが、最近、有名人がよってたかって臆面もなく騒いでいる、ホワイトベルトだか、ライブ8だかを批判しようと思ったんです。あと、「世界でただひとつの花」とかいうものを、臆面もなく歌ってるSMAPにも、この「砂と霧の家」にかけて、ちょっと批判というか、悪口を、と思ったんですが、なんか話が長くなりそうなのと、このHPに抗議が殺到したりするかもしれないので、また別の機会に。まぁ、別の機会なんてないかもしれないですけど。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月14日

ミリオンダラー・ベイビー

観もしないで「傑作なんだろ」とか言っててもしかたないので、観て来ました。「ミリオンダラー・ベイビー」。
うーん、傑作じゃないんじゃないかなぁ。最近ありがちな「傑作もどき映画」ではあるんでしょうけど、結局、「傑作」にはならなかったというか。韻を含んだエピソードとキャラクター造型、繰り返される重層的テーマ、ハリウッドの価値観に組みしないエンディング、帰納法、演算法、サイン・コサイン・タンジェントというか、とにかく映画ってのはこう作るんだよ的職人芸を駆使してるんですが、「許されざる者」や「ミスティック・リバー」で見かけた手法ばかりで、新しい展開としては、教会の中、神父様を前にして、メソメソとハナを垂らして泣くイーストウッドだけでしょうか。
ワタシの前の席にいたおばさんは、ヒラリーの折れた鼻に指突っ込んで治すシーンには目を背けて、イーストウッドが尊厳死を手伝うところでは目頭を拭ってたんですが、こういう人がこういう映画を、知り合いのおばさん2、3人に「すごくよかったわよー、奥様ー、おすすめです」とかメールしたりするのかなぁ。大きなお世話でしょうけど。
尊厳死を手伝うべく、イーストウッドは古いロッカーの奥からマグナム銃を取り出して、ホットドッグ頬張りながら、全身麻痺になったヒラリーの眉間を黙ってぶち抜いて去って行ったんなら、同じく尊厳死をテーマにした「カッコーの巣の上で」に、少し近づけたかもしれないですけど、まぁ、アカデミー賞はなかったことになるでしょうね。
しかし、こういう「傑作もどき映画」というものが、ワタシを映画ゾンビにさせた第一の原因のような気がします。いや、人のせいにしちゃいけないですね。ただ単に映画ばっかり観てきた報いなんで。
「傑作もどき映画」というものの歴史は、たぶん「ニューシネマ・パラダイス」からはじまってるような気がします。あの映画はあの映画で、ワタシは嫌いじゃないんですが、あの監督自身が、以降「傑作もどき映画」しか撮らなくなったのに合わせて、他の映画も、そこにビジネスチャンスとか嗅ぎつけて、大挙して参入してきたような気がします。その結果としての「セカチュー」とか「イマアイ」とか「デンオト」なんじゃないでしょうか。あ、「デンオト」というのは「電車男」のことですけど。
ちなみに、この「傑作もどき映画」の対極にいるのがタランティーノです。彼は「傑作」なんかどうでもいいんだと思います。まず「撮りたいもの」があるんでしょう。だから彼は支持されるんだし、「キルビル」とか撮っても、まだみんなに許してもらえるんじゃないでしょうか。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月12日

モーターサイクル・ダイアリーズ

「モーターサイクル・ダイアリーズ」です。これはチェ・ゲバラ若い頃の「自分探しの旅」ってものでしょうか、やっぱり。映画館ではなくてDVDで観ました。
とにかく南米の風景が好物なので、南米のロードムービーと聞くと観ないわけには行きません。南米も広いですね。雪、水、砂漠といろんな風景がある。ついでにメキシコまで行ってくれるとよかったんですが、旅をするのはゲバラなので勝手なことは言えません。
でも、ゲバラをこんなに好青年に描いてるとは思ってなかったので、ちょっとびっくりしました。ゲバラって結構オカネ持ちの家柄なんですね。これも意外でした。何回も「ゲバラ」「ゲバラ」書いてると、ゲバラってほんとに変な名前だな、と思います。ゲバラゲバラ。
それにしてもこの映画も「傑作」狙いだったのかなー。ゲバラゲバラゲバラ。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月10日

春夏秋冬そして春

キム・ギドクという人は、「魚と寝る女」とか「悪い男」とか、スキャンダラスな映画を撮る監督として有名です。西のギャスパー・ノエか東のキム・ギドクか、と言われてるほどですが、言ってるのはワタシだけなんで、信じないでください。これはDVDで観ました。
ギドクという監督は必ずと言っていいほど売春シーンを出す人です。この世に売春しない女の人はいない、と思ってるのかも。あははは。
今回は俗世間から隔絶された寺院にいるお坊さんの話なんで、さすがに売春シーンはないだろうと思ったら、DVDのジャケットに「無修正版」とかあるではありませんか。あはは。あはは、じゃないか。
だからそういうシーンはありますが、ギドク監督らしからぬ、煩悩と解脱の世界を描いています。別にらしくなくてもいいんですが、お坊さん、美しい自然、そして「春夏秋冬そして春」というタイトルから、三題噺として「こんな話かも」と予想したとおりの展開なので、終盤で爆睡してしまいました。ハッと目を醒ましたら、もう終わっていたので、寝てしまったあたりのシーンから見直したら、また寝てしまいました。えー、とにかくセリフの少ない映画です。そういう映画です。

投稿者 いがらしみきお