この前、取材というか、ロケハンに行きました。いわゆる日本の里山の風景を撮影すべく、福島と宮城の山道や田舎道を、地図を頼りにウロウロとアシスタントのクルマで走ってきたんですが、「美しい国」などというものは、どこにもなかったです。よくわかったのは、国というものは「美しい」とか「美しくない」とか、そういうものではないということでした。
山道を走ってると、40型ぐらいのテレビが路肩にミもフタもない捨て方されてたり、タイヤだの冷蔵庫だの、突然現れるアダルトDVD&コスプレ売場だの、なんでこんな山の中にまでグラフティが、と思うような崖にもスプレーでいたずら書きされているし、そこに住んでる人も自分の庭に廃車を錆びるままにし、自転車やポリ浴槽を放置し、家は家とて、まだ荒れてない家か、荒れ果てるのに任せたか、もう誰も住んでない家です。
山も荒れてます。砂利採りで身ぐるみ剥がされたような山が道の奥に立ちはだかり、造成中で中途半端に削られた山々、かと思えば、場違いなほど立派な道路がいきなりドーンと出現したり、倒木、朽ちた枝、生い茂るツタと雑草、もう日も射さないような森、日本はまさにシュールなほど荒廃していました。
それで当初の目的の美しい里山ではなく、荒廃し朽ち果てた野山と家を撮るハメになりましたが、そこに住む人はと言えば、かあちゃんが犬を散歩させ、石屋のとうちゃんは石を削り、子どもは釣りのために川へ降りて行き、ばあちゃんは孫をおぶり、お尻をポンポンしてあげている。そして夕暮れの中、だんだん増えてくるクルマを見ながら、ワタシは「あぁ、平和だな」と思いました。
「美しい国」、「平和」、このふたつの単語をして、ワタシが、憲法改正とか、国民投票とか、靖国参拝とか、キミのためにこそ死にに行くとか、最近の世相に絡めて話を作っているとは思わないでください。ワタシはほんとは国なんてどうでもいい人間です。ただ、荒れ果てた国の中でも、そこに住んでる人を見て、「平和だな」と思った。もちろんそのとおりではないでしょうが、少なくともワタシはそう思ったので、それは圧倒的な体験としてワタシの中に残ることになるわけです。
それで「バベル」ですが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは、「アモーレス・ペロス」、「21グラム」と同じく、またまた「悲劇ウォッチャー」ぶりを発揮します。この人は人の群れの中に、悲劇を一滴ポトリと落とすとどうなるか、という映画ばかり撮ります。今回も「21グラム」同様、時系列をシャッフルした構成ですが、2度目だともうそんなにドキドキしません。だけどこの人は「ほんとのことを言ってくれる人」です。そういう人を大切にしないといけないと思います。最近の映画はそれでなくても「心にもないことを言って無責任に慰める人」ばっかりなので。ロケハンに行ったあとに、この映画を観たワタシとしては、アレハンドロの言いたいことがよくわかりました。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドラマ
