まず「スパイダーマン3」の方から。いきなり、「スパイダーマン3」なんか観たくなかった、とか言ったらあんまりですが、まぁ、他にやっているものが「ハンニバル・ライジング」とか、「ロッキー・ザ・ファイナル」とかなのでしょうがないです。これが東京だったら、もう少し選択肢があるんでしょうね。昔から、映画環境における東京と地方の格差は絶大です。浅草に行けば「子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎」とかやってるじゃありませんか。もちろん観に行ったりしませんが。
それで「スパイダーマン3」、これはすでにCGアニメです。それはそれでいいんですが、アクションが速すぎてなにをやってるのかよくわからなかったです。これからクライマックスというところで、例によって寝てしまうし。ウチの嫁さんによると、「とくダネ!」の小倉知昭と笠井アナも同じことを言ってたとか。ふぉっふぉっふぉっ、お仲間ですじゃ。
それでは「黄色い涙」の方を。嵐主演です。なぜそれを観たのかと言うと、原作が永島慎二先生だからです。「先生」と呼ばれる職業の人以外で、ワタシが「先生」をつけるのは、永島先生だけです。会いたくてなって、ワタシが自分からノコノコ会いに出かけた人は永島先生だけです。ワタシが持っている形見分けは、ワタシのオヤジと永島先生のだけです。身内、友人以外で墓参りをしたのは永島先生のお墓だけです。他にもいろいろ「永島先生だけ」というものありますが、今日はこの辺で。
なので「黄色い涙」には、必要以上の期待があったかというと、それはやっぱり、ファン心理というものは逆で、気むずかしいものがあります。なぜ今「黄色い涙」なのか、犬童一心監督の意図を計りかねていたんですが、永島先生のファンの犬童監督、中学生の時にテレビドラマの「黄色い涙」を観て、いつか自分でも撮りたかったとか。うーん、混じり気のない純粋な動機です。こういうのを夢を追うというんでしょうね。
人は誰かに教えられるまま、夢というものを追いかける幸福な時代があったりします。あなたにもそういう時代はありましたか?もちろん夢など追わなかった人もいるでしょう。だけど恋をして誰かを追いかけたりしませんでしたか?もし、追いかけなかったとしても、誰かをじーっと見つめたりした時はありませんでしたか?誰かを見つめたりしなかったとしても、誰かのことをずーっと考えたりしませんでしたか?そういう状態を「抒情」と言ってもいいと思いますが、永島先生の「黄色い涙」シリーズは、そういう抒情を描いたものです。この世界にある何事かに、抒情を感じる時、人はこの世を少し好きになるんだと思います。
永島先生は「夢は必ずかなう」などというウソは言いませんでした。永島先生の作品にあるのは、夢を追う人たち、夢がかなわなかった人たちの抒情です。
« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »
2007年05月25日
黄色い涙
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドラマ
2007年05月11日
バベル
この前、取材というか、ロケハンに行きました。いわゆる日本の里山の風景を撮影すべく、福島と宮城の山道や田舎道を、地図を頼りにウロウロとアシスタントのクルマで走ってきたんですが、「美しい国」などというものは、どこにもなかったです。よくわかったのは、国というものは「美しい」とか「美しくない」とか、そういうものではないということでした。
山道を走ってると、40型ぐらいのテレビが路肩にミもフタもない捨て方されてたり、タイヤだの冷蔵庫だの、突然現れるアダルトDVD&コスプレ売場だの、なんでこんな山の中にまでグラフティが、と思うような崖にもスプレーでいたずら書きされているし、そこに住んでる人も自分の庭に廃車を錆びるままにし、自転車やポリ浴槽を放置し、家は家とて、まだ荒れてない家か、荒れ果てるのに任せたか、もう誰も住んでない家です。
山も荒れてます。砂利採りで身ぐるみ剥がされたような山が道の奥に立ちはだかり、造成中で中途半端に削られた山々、かと思えば、場違いなほど立派な道路がいきなりドーンと出現したり、倒木、朽ちた枝、生い茂るツタと雑草、もう日も射さないような森、日本はまさにシュールなほど荒廃していました。
それで当初の目的の美しい里山ではなく、荒廃し朽ち果てた野山と家を撮るハメになりましたが、そこに住む人はと言えば、かあちゃんが犬を散歩させ、石屋のとうちゃんは石を削り、子どもは釣りのために川へ降りて行き、ばあちゃんは孫をおぶり、お尻をポンポンしてあげている。そして夕暮れの中、だんだん増えてくるクルマを見ながら、ワタシは「あぁ、平和だな」と思いました。
「美しい国」、「平和」、このふたつの単語をして、ワタシが、憲法改正とか、国民投票とか、靖国参拝とか、キミのためにこそ死にに行くとか、最近の世相に絡めて話を作っているとは思わないでください。ワタシはほんとは国なんてどうでもいい人間です。ただ、荒れ果てた国の中でも、そこに住んでる人を見て、「平和だな」と思った。もちろんそのとおりではないでしょうが、少なくともワタシはそう思ったので、それは圧倒的な体験としてワタシの中に残ることになるわけです。
それで「バベル」ですが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは、「アモーレス・ペロス」、「21グラム」と同じく、またまた「悲劇ウォッチャー」ぶりを発揮します。この人は人の群れの中に、悲劇を一滴ポトリと落とすとどうなるか、という映画ばかり撮ります。今回も「21グラム」同様、時系列をシャッフルした構成ですが、2度目だともうそんなにドキドキしません。だけどこの人は「ほんとのことを言ってくれる人」です。そういう人を大切にしないといけないと思います。最近の映画はそれでなくても「心にもないことを言って無責任に慰める人」ばっかりなので。ロケハンに行ったあとに、この映画を観たワタシとしては、アレハンドロの言いたいことがよくわかりました。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドラマ
