現代日本人の民度を計るべく今回は日本映画を。あははは。
今さらながらですが、ちょうどDVDも出たので「嫌われ松子の一生」です。中島哲也監督の前作「下妻物語」も観ていますが、「下妻-」、女版「木更津キャッツアイ」かなと思ったら、むしろ「アメリ」のようなファンタジーで、いきなりこんなのを撮れる人が日本にいたとは思いませんでした。聞くと、サッポロビールの山崎努とトヨエツの卓球のCMとか、SMAPのガッチャマンのCMを撮った人とか。その頃、ガッチャマンのCMを目にした嫁さんが「日本もこういう映画を撮ればいいんだよ!」と力説していましたが、ワタシも、こういうものを作る人が映画を撮れるようになると、日本映画もちょっと変わるかも、という感想を持ったのを憶えています。その中島監督がとうとう撮ったと。はてさて日本映画は変わったんでしょうか。
結論から言うと、そんなに変わるもんじゃないですね。先週も言いましたが、日本映画を変えたのは韓流だと思います。そしてなによりゲームです。
ゲームのもたらした影響は映画だけに止まらず、社会全般に渡り、実に甚大です。日本人はある時期ゲームばっかりやってたと思いますが、その時エンターテインメントというものに対してのスタンスまで変わったんじゃないでしょうか。自分のわからないエンタメは歯牙にもかけないが、自分のわかるエンタメには辛辣なヤローどもが、この時たくさん生まれたのです。これをゲーマー世代と言いますが、このゲーマー世代というのは恐るべき人たちで、まるでフーゾクに通うオヤジのように、アレしろコレしろ、サービスしてあたり前だろとか、オレたちカネ払ってんだぞとか、傍若無人、夜、河を渡るというか、なんじゃそりゃ、というか、とにかくフーゾクのもたらす、じゃなかった、ゲームがもたらしてくれる、ありとあらゆる快楽を味わってしまった人たちなので、今さらかったるくて映画なんか観れっかよ、漫画なんか読めっかよ、音楽なんて聞けっかよ、という世代です。だから今映画を観に来てる人はゲームなんかやらなかった人たちでしょう。
ではゲーマー世代はなにをしているのかというと、今もまだ細々とゲームやってるか、引きこもったり、ニートとか言われたり、下流クンとか、格差クンとか、言われたりしてるんじゃないでしょうか。ゲームの快楽に比べたら、現実のなんというつらさ、つまらなさ、くだらなさ、味気なさ、なさなさ、NASAはシャトルを飛ばしますが、ゲーマー世代はもはやプレステ3とWiiに一縷の望みをかけるしかないのでした。哀れ。
そして「嫌われ松子-」、日本人の民度を示す作品群とやらは、カネがなくて映画なんか観にくるとは思えないゲーマー世代なんて完全無視ですが、中島監督、そのゲーマー世代をも越えて行こうというか、その先にある映画を作ろうというか、そういう決意があったからこそこういう作品になったんだと思います。それはそれで立派だと思います。
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2006年11月23日
嫌われ松子の一生
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ミュージカル
2006年11月17日
テキサス・チェンソー/ビギニング
今週もまた観るものがなく…、とか3週つづけて同じこと言ってるわけにも行かないので、これまた3週つづけて資料漁りの本屋巡りで潰れてしまった日曜日の合間に、無理矢理観てきました「テキサス・チェンソー/ビギニング」。きっとどこかの映画ファンの人は思ってるでしょうね、「なんでそんなのばかり観てるの、この人」とか。「もっと素晴らしい映画があるでしょうに」とか。ベルイマンの「サラ・バンド」とか、ピーター・チャンの「ウィンター・ソング」とか。いや、「ナチョ・リブレ/覆面の神様」にしようかとは思いましたが、ベルイマンもピーター・チャンも予想外価格0円でした。意味わかんないけど。あははは。
ワタシは、過日の名匠より今のドアホをこそ選ぶ者です。それで「テキサス・チェンソー/ビギニング」、ドアホだったかというと、過日のドアホでした。前作が結構ヒットしたんで、同じようにもう一本作ってみました。よろしかったら、どうぞ、という魂胆丸出し。こんなのばっかり作ってるから、週刊文春とかに「邦画を復活させた若手女優とシネコン」なんて記事書かれちゃうんでしょう。それによると「今のハリウッド映画は日本人の民度からすると鑑賞に耐えないものばかり」とか。誰だ、コレ書いたの。おすぎか?
「日本人の民度」だそうです。大きく出たもんだ。その民度に耐える作品が「海猿」と「日本沈没」と「男たちの大和」と「DETH NOTE」だと言ってるように読めるけど、今の日本映画の隆盛なんて韓流のお陰ですよ。韓国映画がオバア市場を開拓してくれたお陰です。えらそうなこと言っちゃいかんと思います。
「民度」云々とかではなく、昨今のハリウッド映画はほとんどがリメイクか続編ものだというところに問題あるんでしょう。これはすでにもう病的というか末期というか今夜がヤマというか、そういう状態です。なぜなら、スコセッシなどはどうでもいい存在になり、ルーカスがとうに昔の人だということを露呈し、スピルバーグまでコケてしまい、タランティーノはウマ・サーマンに失恋してからは燃え尽き症候群、これではいったいなにを作ればいいのかわからなくなるのも無理はない。
それでもワタシは、ハリウッド映画も日本映画も同じ状況に直面していると思います。それは映画なんて大したことないんじゃないのというか、「映画」というものにすでになんの特権もないというか、1800円のステーキとどこがちがうんだというか、だったら1800円のステーキの方がうまそうだというか、というか、というか、というかなのです。
先週も言いましたが、「レンタルされる」ということを甘く考えてはいけません。レンタルされはじめたものから、カタログ化され、記号化され、ただの商品になってしまいます。だけど、たぶんそっちの方が、生物学的にも歴史的にも正しいんでしょうね。人間はどんなものにでも意味を見失ってしまいます。だから今の映画、音楽、漫画のおかれている状況、それらは来るべくして来たものなんでしょう。ワタシもドアホですが、それぐらいはなんとなくわかります。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ホラー
2006年11月11日
ジャケット
つまらない日本映画、さらに増殖中なので今週もまた観るものがない。「7月24日通りのクリスマス」たらいうものまで公開されるに及んでは、当分映画観に行くの止めます。つまりストライキです。あははは、そんなことやっても誰も困ってくれないのに。
それで「ジャケット」、DVDです。これも観に行こうかどうか迷いましたが、地方のシネコンというのは当然郊外にあるので、クルマの免許を持ってない人には、そんなに自由に行けるところではない。しかも、ひどい場合には誰にも来て欲しくないんじゃないかとしか思えないような場所にあったりします。必然的に、ワタシは地下鉄沿線にある映画館とシネコンにしか行けないんですが、最近は「それでもいいや」という感じです。なにしろ映画なんてレンタル屋に行けば、新作が200円で借りられる時代なんで。200円ですよ。200円のものをみなさんは尊いと思いますか?200円の方がよっぽど尊いでしょう。
音楽、映画、漫画、レンタルされたメディアからどんどん消費物になって行くような気がしますが、それは気のせいとばかりは思えません。ほんとに気のせいじゃないし。
「ジャケット」、どういう話かというと、拘束衣を着せられて、死体用の引き出しに監禁されると、別な時代にタイムスリップしてしまう話です。なんかの映画評で「拘束衣を着せられただけでタイムスリップするものだろうか」という驚くべき意見がありましたが、最近はこういうことをマジメに言う人が映画評書いてたりするので困ります。ま、それは別にいいですが。
しかし、「ジャケット」の一番こわかったところはここです。なにしろワタシ、閉所恐怖症なので、拘束衣を着せられた上に、口をガムテープで塞がれて、死体用のロッカーというか、引き出しに入れられてしまうなんて…。しかもひと晩。こ、これは観ていて、ワタシまでいっしょにタイムスリップしてしまいそうでした。しかも役者がエイドリアン・ブロディ、あの「被虐顔」で、真っ暗闇の中、気も狂わんばかりに泣き喚かれると、あまりの悲惨さと絶望感で過呼吸の発作が出そうになり、何度DVDをイジェクトしちゃおうかと思ったことか。ま、これも映画の楽しみ方のひとつでしょう。楽しかったわけじゃないですが。
だから映画を観て「泣ける」という楽しみ方もわからないわけじゃない。しかし、最近の日本映画は意地汚く「泣ける」映画ばっかりで、その出演者も、オダギリジョーと蒼井優と宮崎あおいと上野樹里が取っ替え引っ替え出てくるだけのようにしか見えない。どうせだったら、オダギリジョーと蒼井優と宮崎あおいと上野樹里と妻夫木聡と長澤まさみと山田孝之と沢尻エリカを使って、「泣ける映画決定版」というか、泣ける映画のオールスターキャストというか、泣ける映画の「忠臣蔵」、泣ける映画の「仁義なき戦い」みたいなものを作ったらどうなんだ、と思います。やっぱり竹中直人も出てるんでしょうが。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス
2006年11月03日
デイジー
日本映画の増殖が止まらず、ワタシは今週もまた観るものがない。「ザ・フォッグ」は「天使の卵」とかいうものに押しのけられ、「ホステル」は「ただ、君を愛してる」なんていうものに差し替えられ、「ハイテンション」は「手紙」たらいうものに蹴飛ばされてしまうのでした。イーストウッドの「父親たちの星条旗」でも観ようかと思ってたんですが、予告篇を観たら、もう観なくてもいいような気になってしまったので、たぶん行かないでしょう。あぁ、誰ぞ吾が進むべき道を教えよ。
というわけで、今週はDVDを。「デイジー」もそろそろ韓流に食傷気味になっていた頃だったので、結局、観に行かなかったんですが、実はアンドリュー・ラウが監督だとは知りませんでした。アンドリュー・ラウというと、「インファナル・アフェア」三部作が有名です。「インファナル・アフェア」は、ワタシも「2」まで観てます。ハリウッドでもスコセッシ監督でリメイクされたみたいですが、そっちはどうでもいい。
アンドリュー・ラウが監督なのに、アクションではなくて、ラブ・ストーリー。うーん、ジャケットのあらすじを読んだら、ははぁ、これは「インファナル・アフェア」の形式でラブ・ストーリーを作ってしまおうっつう企てなんじゃないか、と思ったら、俄然、観る気になりました。
「インファナル・アフェア」の形式というのは、こうです。「お互い身分を明かせない」、「敵対している者同士」、「逆転する立場」、「ドンデン返し」、「またドンデン返し」、「さて真相はどっち?」。まったくそのとおりの作りでした。
昨今の漫画界は「フィクション」というものがスタれてきています。「ノンフィクション」なもの、または「リアル」なものが主流になって久しい。その理由についてのグダグダは言いませんが、ワタシは、「医者は3人殺して一人前」的なリアルさが嫌いです。または「警察は検挙率を下げたくないから動かないんですよ」的な事情通ぶりとか、「保健室の先生というのは医療行為は出来ないはずですが」的な世間通ぶりというか、すべてオヤジの屁理屈です。オヤジはその屁理屈を誇りにさえしてるので、それが蔓延しているのが今の日本でしょう。みなさんも最近思うでしょ、「この国はサイテーだ」って。
「デイジー」、丸ごとハッタリです。このハッタリこそがフィクションの肝でしょう。映画としての出来はともかく好感度は抜群です。特に役者。無表情のままセリフをブツクサ言うのがリアルだとか思ってるような日本の役者とはちがいます。殺し屋役のチョン・ウソンの意味不明のハニー・スマイルはどうスか。素晴らしいです。チョン・ジヒョンの相変わらずの暗さはどうだ。こんな暗い女優、日本じゃ仕事もらえないでしょ。みんな「猟奇的な彼女」とか「僕の彼女を紹介します」とかでだまされてるけど、ワタシはこの人の暗さに惹かれます。チョン・ジヒョン見るんなら「4人の食卓」でっせ。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: 恋愛
