ジャンボジェット機の中がヘビだらけになる映画が全米ナンバーワンになったらしい、というニュースを聞いて、吹き出したのはワタシだけではないでしょう。いや、ワタシだけかもしれないですが。ジョン・マルコビッチの頭の中に入ってしまう映画がヒット中らしいとか、「エイリアンvsバネッサ・パラディ」という映画が来るらしいと聞いた時の、あはは感を思い出します。両方とも大した映画じゃなかったですが。
だから「スネーク・フライト」も期待しないで行きました。ただ、アメリカ映画というのは時々、突拍子もないものが出て来たりするので、その突拍子もないものだといいなぁ、とか微かに思いながらシネコンの椅子に座ると、前のアベックがイチャイチャしてる。こりゃダメなんじゃないかという予感がしたんですが、やっぱりダメでした。B級なんだろうなと思ったら、やはりB級で、ヘビもセコいんじゃないのと思ったら、やっぱりセコい。なのにシナリオは精一杯やりましたっていうヤツかなと思ったら、シナリオは精一杯やってました。やっぱり「カポーティ」の方に行けばよかったな、とかまた思ったりして。
主演はサミュエル・L・ジャクソンですが、あとはみんなテレビ俳優と思しき人ばかりで、ヒロイン役のスチュワーデスもなんだか年増で疲れた顔してます。そういえば、テリー・ガーが出てました。クレジットをよく見てないので、はっきり言えませんが、たぶんテリー・ガーです。とてもおばあさんになってました。
テリー・ガー、変な名前ですが、「トッツィー」とか「ワン・フロム・ザ・ハート」とか、80年代の映画で活躍した女優です。名優かというと、そんなことはない。バイ・プレイヤーというか、準主役専門です。ブロンドの髪、騒々しく早口でまくし立てるヤンキー・ガールというイメージなんですが、この人どんな役をやってもハスっぱです。そして自分のハスっぱさを自覚してるので、そのうちサメザメと泣いたりします。自滅する女をやらせると、いつも明るく自滅してました。
80年代というと、ワタシは田舎の印刷屋に勤めながら、バンドをやってまして、夜になると、田んぼの中にある公民館で練習してたんですが、練習が終わると、同じ敷地内にある一軒家にカギを返しに行きます。そこには妙齢のご婦人とその娘が住んでいて、我々はそのご婦人を「管理人さん」と呼んでいました。その家には男物の靴とかなかったような気がします。
我々の練習というのは、夜も10時頃にならないと終わらないので、カギを返しに行く頃には、管理人さん、お風呂も上がっていい匂いがし、ネグリジェだったり、ガウン姿だったりする。当然、我々4人のメンバーは、「夜這いかけっぺ」とか、「オレ今日行んから」とか、「管理人さんはオレのごどいづでもジッと見でっと」とか、言い合いながら帰るのが常でしたが、結局、なにもありませんでした。テリー・ガー、その管理人さんに似ています。
ワタシの嫁さんに言わせると、80年代というのはなにもない時代だったそうなんですが、なにもない幸せはあったんじゃないでしょうか。
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2006年10月28日
スネーク・フライト
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス
2006年10月21日
ブラック・ダリア
先週、「ブライアン・デ・パーマの映画も「フラガール」も同じだろ」とか例にあげてしまった、そのデ・パーマの「ブラック・ダリア」です。ほんとにね、「監督はあのブライアン・デ・パーマ-」とか言っても、今時、デ・パーマだから観に来る人なんて、主演がジョシュ・ハートネットだから来たという人の半分もいないでしょ。だって、そういう客筋だったスから。若いアベックとか、女の子3人とか。これらの人は「ほんとうにあった残虐な殺人事件」「胴体まっぷたつ」「口は耳まで裂かれ」という、ホラー風味を期待してただけかもしれないし。
ワタシの場合、原作者のジェームズ・エルロイの愛読者だったというのもあったもんで、一応、仁義きってこっちに来ましたけど、ほんとは「カポーティ」の方に行きたかったです。うーん。
デ・パーマの前作に「ファム・ファタール」という作品がありますが、これは、ひさしぶりにデ・パーマ特有の机上の空論映画、デスクトップ・ロジック・ムービーとしての完成形を見せられた思いで、ワタシはおもしろかったんです。しかし、この人、傑作を2作つづけられるわけがないので、今回はダメだろう。デ・パーマ・フリークの人たちもみんな「うーん…」とか言ってるし。だからあまり期待してませんでした。そして、期待しなかったのは正解だったと思います。あははは。
死体が発見された時のクレーン撮影でのシーンとかはよかったですが、それも含めて、デ・パーマじゃなくて、これはシドニー・ポラックの映画だと言われてもそんなに違和感がない。ラスト近くになってから、原作にもなかった机上の空論をやおらやりはじめますが、当然、その辺からは別な映画の趣さえします。ふつうの天丼だと思って食ってたら、下の方にタレが溜まってダボダボで、ものすごくしょっぱいというか。いや、なんか例えがちがいますね。
前回、グダグダと「相対化」とか言いましたが、それを引き継いで言うと、相対化の先にあるのが「好き、嫌い」とすると、相対化によって抜けてしまうのは、やっぱり「いい、悪い」でしょう。「いい」とか「悪い」がなくなってしまうので、世の中は右も左もわからない「好き、嫌い」人間がのさばることになります、と言うと言い過ぎかな。言い過ぎですね、すみません。だけど、だからワタシごときに、デ・パーマの映画まで天丼呼ばわりされるわけで、昔だったらデ・パーマを天丼なんて、天丼なんて、そんなあなた。でも正味ね、今2時間空くから、これからデ・パーマの映画観に行くか、うまい天丼食いに行くか、どっちだと言われれば、ワタシはもう迷うことなく天丼の方に行きますよ。そういうもんですよ。もしかしたら、デ・パーマ本人だって天丼の方かも。「ブラック・ダリア」観てると、デ・パーマ自身の中でもなにごとか相対化が進んでて、ほんとに天丼選ぶんじゃないかという気がしましたが。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス
2006年10月14日
ブギーマン
世は日本映画ブームとやらで、邦画の公開本数が増えています。その余波を受けて、1.5流以下の洋画、ましてやホラーとなると、シネコンの主力観客であるファミリー層、オバサン層が観にくるとは思えないので、地方では観られない作品が増えてしまう。サム・ライミ製作のこの「ブギーマン」も、結局見逃してしまいました。ホラー・ファンのワタシにとっては、昨今の映画興行の傾向は、すでに弾圧に近いものなので、弾圧されればされるほど、えー、どうでもよくなって観に行かなくなります。あははは。
だいたいワタシのように「映画ゾンビ」とまで行かなくても、もう映画はあんまり観ない、DVDとか借りてきても途中で寝てしまう、という人が多い。ワタシのまわりの人が高齢化したということもあるでしょうが、若い人で最近映画にハマってるなんて話は聞いたことがない。若い人で最近映画にハマっている人いますか?いたら手を挙げてみてください。見えないからわかりませんけど。
えー、かつては「コア」であったファンというのが、映画だけじゃなくて、どのジャンルでもいなくなってしまっているんじゃないでしょうか。残っているのは圧倒的多数を奪い合い、生き馬の目を抜く、コスト削減、リスク回避、マーケッティング命の世界ですが、しかし、それもちょっと前までで、今はあらゆるものが相対化されてしまっている。この「相対化」という言葉は便利です。この前、酔っぱらった席で言い出してからのマイ流行語ですが、簡単に言えば、ブライアン・デ・パーマの映画も「フラガール」も同じだろ、ということです。デ・パーマっていうのは知らねえから、南海キャンディーズのシズちゃんが出てるこっちを観よう、ということです。そういう人にとって、シズちゃんとタメをはるんだったら、スピルバーグぐらいじゃないとダメでしょう。いや、スピでも負けるかな、シズちゃんに。うーん。
「相対化」とか言うと、なんでもわかったような気持ちになります。例えば、働くということが相対化されたから、ニートとかいう人が増えたり、セックスというものが相対化されたから、援助交際というものに平気になったり、育児というものが相対化されたから、子供ほっといてパチンコしに行ってしまったり。
哲学という学問がありますが、ワタシが読んだ数少ない哲学の本から得た、たったひとつの答えは、「人間はカラッポだよ」ということでした。それを考えると我々はたぶん本来の姿に帰りつつあるのかもしれませんが、それでもこの先、相対化がさらに進むとどうなるのかちょっとこわいですね。きっと「好き嫌い」だけが残るんでしょう。「好き嫌い」だけの世界、なんだかゾッとします。どんなことであれ、「好き」とか「嫌い」ですまされてしまうんですから。
それで「ブギーマン」、どうだったかというと、「ブギーマン」は嫌いです。
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ホラー
2006年10月07日
LOFT
ミイラと思しき女が起き上がるだけの特報を劇場で観た時は、「おわぁー、「回路」よりおっかねいかも!」と思って、楽しみにしていた黒沢清監督の「LOFT」。内容を知るにつけ、残念ながらホラーではないということは承知してたんですが、それでも行ってきました。とにかく映像が素晴らしいです。中谷美紀もこんなにいい役者だとは知りませんでした。ラブ・ストーリーだそうですが、実はそこに行き着く前に寝てしまいまして、別にいいんですが、黒沢監督の映像というのは、とにかくテンポが変わるということがない。いつもゆるゆると川が流れて行くようなペースです。そこが熟睡に至ってしまった要因かもしれませんが、ワタシ如きに居眠りされる映画ではないでしょう、たぶん。
黒沢清が「静」だとしたら、「動」の代表的な監督というと塚本晋也かも。以前ちょっと触れた、幅30センチの中に閉じこめられる究極の閉所恐怖映画「HAZE」が、とうとうDVDで出ました。
自らも閉所恐怖症であるワタシは、このDVDをビデオ屋の棚で見つけた時、リンダ・ブレアの待つ屋敷を見上げるメリン神父のように、すべてを覚悟し、意を決し、指2本でDVDをつまみ持ちながらビデオ屋のカウンターへ。まるで「リング」のビデオテープでも入れるかの如く、胸元で十字を切りつつ恐る恐るカバンに詰めこむと、帰路につくタクシーの中、カバンを抱え持つワタシの両手は、止めようもなくカタカタと小刻みに震えるのでした。その時、運転手が何事か気がついたように、ルームミラー越しにワタシを見ると、こう言いました。「お客さん、キャラウェイんとご?」「キャラウェイのパン、うめえのねぇ」「食ったごどあるスか?」。んなこと知るか、バカ!
途中、酸欠やパニック症候群の発作も出るだろうと覚悟しつつ、もし2時間過ぎても下に降りて来ないようだったら、様子を見に来てくれ、と嫁さんに伝えた上で、いざ「HAZE」をデッキへ。スイッチ、オン!ぎゃぁあああぁぁ!
結論から言うと、またまた寝てしまいました。もしかすると失神したのかもしれませんが、うーん、たぶんそれはないでしょう。覚悟の上で観ると結構順応してくるもんだな、とか思いながら観てましたんで。この「HAZE」、尺も50分弱ということで、メル・ギブソンの「パッション」以来のパフォーマンス・ムービーとして、大いに期待してたんですが、どうもちゃんとオチがつく。オチがつくのが悪いんじゃないですが、この映画にオチは期待してませんでした。出来ればもっともっとひどい目に遭わせて欲しかったです。
30センチの世界を進むうちに、だんだん幅が狭くなり、とうとう20センチの世界へ。もう完全に身動きも出来なくなってしまったところに、真っ暗な向こうからカサカサと音がする。見ると10センチぐらいに潰れ、ムカデのようになった人間が近づいてきて、耳元でささやくのでした。「柏屋のまんじゅう食ったごどあるスか」「賞味期限切れでも、油でサッとあげで揚げまんじゅうにすっと、えれえンめのっさ」「今度やってみらいん」。いいから、あっちへ行けよぉ!
投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス
