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2006年06月28日

変態村

まぁ、とんでもないタイトルだと思います。一発勝負に出たというか、自暴自棄というか、身を捨ててこそ浮かぶ背もあれというか。原題は「CALVAIRE」というらしいので、あくまで日本の配給会社の窮余の一策であることは明らかです。しかし、ワタシも「変態村」というタイトルだから観に行ったというのは間違いないので、配給会社の宣伝部に完敗したと言えそうです。もちろん完敗覚悟で行ったんですが、少し寝ました。お客さんもワタシ以外、アベックも入れて3人。いったいなにを期待してきたアベックなのかなぁ。あははは。
これはえーと、「愛の暴走」を描いた映画でしょう。あ、オフィシャル・サイトを覗いたら「愛の受難」とありました。まぁ、どっちでもいいです。「愛の不在」とかでも。
愛は暴走すると変態と呼ばれるようになるのはよく知られていることです。もともと愛は暴走しやすいもので、主人公の歌手に群がるオバアたち、男を帰ってきた女房だと錯覚するオッサン、仔牛を愛でてしまう村人、自分のペットかわいさに犬と牛のちがいもわからなくなっているバカ、みんな愛が暴走してるのにも気がつかないので「もうウンザリ!」という映画でしょう、たぶん。
ベルギーの映画らしいですが、ヨーロッパというのはいつまでたっても「神」とか「愛」とかいうキリスト教文化から出てきません。だからどんどん古くなるばかりで、この映画もはっきり言って古いです。しかし、ヨーロッパには「古くなった」という価値観さえ存在しないかもしれないので、なんとも言えません。古いものをバカバカ壊してしまって、なにもなくなってしまった日本よりもいいじゃないかという人もいるでしょうが、ワタシはそうは思わない。なにもない方が圧倒的に正しいのです。だけど人はなにもないままじゃ生きて行けないので、最近はみんなオカネを欲しがります。
ワールドカップで日本代表はなぜ負けてしまったのでしょう。それはやはり日本代表が神も愛も信じてないからです。そしてオカネも。ほんとは日本人が正しくて世界中が間違っているんですが、神とか愛とかオカネとかを信じて戦うヤツに、なにも信じてないただのサッカー好きの日本代表が勝てるわけがないのです。命を賭けてるヤツに、命なんか賭けてない人間が勝てるでしょうか。カネ儲けのために働くヤツに、生きるために働いてる人間が勝てるでしょうか。ワタシは「変態村」を観ながらそこまで考えました。これもまた「愛の暴走」なんでしょうが。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス

2006年06月20日

陽気なギャングが地球を回す

ワールドカップがはじまってしまうと、たぶん映画もビデオも観てるヒマがなくなるだろうと思い、嫁さんと子供が「陽気なギャングが地球を回す」を観に行くというので、これ幸いとまたノコノコとついて行きました。実はワタシだけ「ジャケット」を観るつもりでいたんですが、子供の塾が終わる時間に合わせてたら遅れてしまい、結局いっしょに「陽気なギャング-」の方を観ることになってしまいました。「陽気なギャング」が「銀行強盗」する話に興味はなかったんですが、免許を持ってない男というのは田舎ではほとんど人権などないに等しいので。
ところでワールドカップですが、今回のジーコの日本代表にはアジア予選の頃から興味が持てませんでした。ワタシこんなに醒めた目で日本代表を観てたことはない。ジーコの日本代表には「選手の自主性を育てる」というテーマがあるそうですが、シュートを打たないFWや、サーカスみたいなパスばかりやりたがるMFや、フリーランニングしないSBや、負けてるのに最終ラインでのんびりパス回してるDFがいたら、もう呼ばなければいいだけの話だと思うんですが。またはそういう選手を選ばない代表監督にすればいいだけの話でしょ。じゃないスか?
サッカー協会の川淵キャップ、ワールドカップ初戦、オーストラリア戦のロッカールームで「この戦いはサッカーだけの戦いではない。日本人のメンタリティーを変える戦いでもある。だから死力を尽くして戦ってくれ!」というような檄を選手に言ったそうですが、ワタシはあなたのそういうところが好きです。たかがサッカーで日本人の「誰かに言われたとおりにやってりゃいい」というメンタリティーさえ変えようとする。だけどそれをやるにはジーコじゃ無理でしょ。それをやれるとしたら岡ちゃんしかいなかったはず。じゃないスか?じゃないスか?
それとジーコの日本代表は、アジア予選で韓国とも戦わずに行ったのが気にくわねい。韓国とやりもしないでなにがワールドカップだってぇの。ワタシゃね、ワールドカップで優勝なんかしなくていいから、二度と韓国に負けないチームを作って欲しいっス。ワタシの生涯いったい何度韓国に泣かされてきたか、その悔しさをワタシは片時だって忘れたことはねぇい!パク・チャヌクの映画を観て熱狂しても、キム・ギドクの作品で驚いても、驚くそばから悔しくなる、あぁ、また韓国にやられてるって!オレァ、アホですか?サッカーと映画は関係ないと知りつつも、また韓国にやられてると思うわけですよ!オレァ、ドアホっスか?じゃないスか?じゃないスか?
ギドクの「うつせみ」を観たあと、「陽気なギャング-」なんて映画を観ると、まったくこれって今の日本代表そのものじゃないかと思うわけです。じゃないスか?

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: アクション

2006年06月13日

うつせみ

キム・ギドクの新作「うつせみ」です。ちょっと前にこの人のプロフィールを調べていたら、未公開の新作として「3-iron」というのと「空き家」というのと「うつせみ」というものがあったので、新作が3本も控えてるのか、ギドクすげい!とか勝手に驚いてたんですが、結局、公開国別のタイトルだったようで、すべてこの「うつせみ」のことでした。上記のタイトルの他に、当然、本国のハングルのタイトルもあります。ハングルだとなんというタイトルなのか皆目わからないんで困りますけど。
それで「うつせみ」、家も身寄りも仕事もない若い男が、昼は宅配中華とかのビラを玄関のドアに貼り付けて留守宅を調べておいて、夜になってから不法侵入し、楽しそうに料理したり、楽しそうに風呂に入ったり、たまっている洗濯ものを洗ってあげたり、壊れているオモチャやヘルスメーターを直してあげたりしながら、留守宅や空き家を泊まり歩く話です。これはすばらしいアイディアだと思いました。このアイディアがあったらあとはなんとでも作れるだろうというぐらいのものでしたが、しかし、そのアイディアがさらに異様な展開を見せ、「うつせみ」は現時点でのギドクの最高傑作になったとさえと思います。そして、これ以上の傑作をこの人は向こう5年以内に作ってみせそうな予感さえしました。
ワタシも漫画家の端くれとして、今ギドクがどんなコンディションなのかなんとなくわかります。鉱脈に当たったというか、石油が出たというか、全身にみなぎる確信とともに、あとはここを掘って掘って掘りまくるだけだ、という最強モードになっているんじゃないでしょうか。とかなんとかここまで書いといて、改めてキム・ギドクで検索かけてみたら、もう「弓」というのを作り、その次の「時間」という作品さえ韓国で5月に公開されたそうです。ギドク、すげい!!たぶんこのふたつとも、またはどちらかは間違いなく傑作のはずっス!! 売春する女の話ばっかりとか、西のギャスパー・ノエ、東のキム・ギドクとか、ふざけたオレがバカだった。ごめん!!
しかしこの人、本国の韓国では不遇です。お客さんが入らないとか。仙台での「うつせみ」も1週間だけの興行で終わりました。本人が最強モードなのにお客さんが来ないというのはメゲるでしょうね。かわいそうなギドク。でも「うつせみ」が100万人動員とかになったらたいへんっス。留守宅や空き家を勝手に泊まり歩く「不法宿泊ごっこ」が大ブームになるでしょう。だってワタシも人の家や部屋に勝手に泊まってみたくなりましたから。あー、誰か泊まらせてくれないかなぁ。洗濯物とか洗っといてあげてもいいし。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: 恋愛

2006年06月09日

ダ・ヴィンチ・コード

ははぁ、「ダビンチ・コード」だとばっかり思ってたら、「ダ・ヴィンチ・コード」だったんですね。まぁ、どっちでもいいですが。
例によって子供がテレビの予告篇を観て「これ観たい」と言い出し、原作を読んでいた嫁さんも「観てもいい」とか言うので、あまり興味もないのにノコノコついて行きました。
当サイトの名物コンテンツ「アカカくんたち」を制作しているKくんの子供もテレビの予告篇を観て「観たい」とか言い出したそうで、Kくんによるとこれはアニメの「名探偵コナン」の影響だとか。「コナン」と同じような映画なんだろうと思って、「ふふん、その謎、わたしが解いてみせるわ」とか思う子供が続出したんでしょうか。もしかしたら日本語吹き替え版のシアターでは、「よーし、わかったぁ!」とか「ボクもうわかったよ!」とか「そいつまたウソついてるよ!」とか「聖杯は○○にあるんだよ!」とか「そっちに行っちゃだめ!」「そこで首絞めにくるよ!」「あっボクのコーラがない!」「このコーラもらったぁ!わはははははは」とか、じっとしていられない最近のおガキどもも含めて、子供たちの謎解きの罵声と怒号で劇場はワールドカップ決勝戦のような状態になっているかも。あははは。
それに比べて字幕スーパー版の方は実に静かなものでした。それでも客は200人はいましたが。先の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」なんかは、ワタシが観た時はお客さんが4人しかいなかったんですよ。とんでもないもんです。同じ映画だというのに、いったいなぜこんなに差が出るんでしょう。宣伝費だけの問題だとは思えませんが。
昔、デビッド・リンチのインタビューを読んでいたら、「スピルバーグがおもしろいと思うことなら世界中で200万人の人がおもしろいと思うかもしれないが、私がおもしろいと思ったことを同じようにおもしろいと思ってくれる人は200人もいないだろうね」みたいなネガティブなことをメソメソ言い出したので、インタビュアーに「デビッド、私もあなたのやることをおもしろいと思うひとりですよ」とか慰められたりしてたんですが、この発言には重大な示唆が含まれています。200万人に向けて作られたものと200人に向けて作られたもの、あなたならどっちを買いますか?
まぁ、問題は映画ってそういう風に選ぶものじゃなくなったということはあります。では別な設問を出しましょう。友達が2万人いるヤツと2人しかいないヤツ、あなたならどっちの人間と友達になりますか?というのだったらどうでしょう。友達を選ぶように映画を選ぶ人もいないでしょうが、かつてワタシは「こいつはおもしろいヤツかもしれない」という、人を見る目と同じ「目」で映画を選んでいたつもりです。それで言うと「ダ・ヴィンチ・コード」、高そうなものを着てるけど話が大げさなだけの退屈なヤツでした。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス