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    <title>ものみな過去にありて</title>
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    <title>最終章　本へ</title>
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    <published>2011-09-13T00:56:16Z</published>
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    <summary>最近打ち合わせの機会が増えて、この前も東京に行きました。打ち合わせの翌日、知り合...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="41.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/41.jpg" width="240" height="400" class="photo-r"/>最近打ち合わせの機会が増えて、この前も東京に行きました。打ち合わせの翌日、知り合いが参加しているあいおい古本まつりへ。古本好きなのかと言われると、本は好きだけど、古本好きということはないです。本フェチでもないし、どちらかと言うと本への敬意を欠くような、本を冒涜するようなことばかりしてます。本棚はただ突っ込んであるだけだし、買ってくるとひとまず机の上とか床の上に放り出したまま、しおり紐がないと平気でページの角を折るし、ページをめくる時に指もベロンベロン舐めます。その上、乱読、斜め読み、渡り読み、飛ばし読み、見下し読み。見下し読みというのは、ちょっとおもしろくない、意にそわない展開になると、もう見下して読んでいる。それでもおもしろくないと無情にも強制読了となり、ちょっと結末が気になる場合は、最後の方だけチラ読みしたりする。自分の本がそんな風に読まれたら激怒するくせに、他人の本だと平気でそんな扱いをする。まったく読書好きの風上にも風下にも対岸にもおけないようなヤツです。すみませんすみませんすみません。

ワタシはブッ○オ○が苦手でした。それから100円ショップとUFOキャッチャーも。この三つが隆盛を極めた頃、みんなが無駄遣いしてました。オカネもモノも。いわゆる消費社会絶頂の頃です。はじめてブッ○オ○に入った時はギョッとしました。店の中には商品ではなくて死体が並んでいるようだった。ワタシの知り合いは100円ショップが大っっっ嫌いでしたが。

それで古書というか古本についても偏見ができていたところ、あるきっかけから古本関係の人たちと知り合うことになり、はじめてと言っていいほどはじめての古本屋さんへ。そこには死体ではなくて、たくさんの年寄りがいました。これは理屈ではなく、ほんとにそう感じたものです。

あいおい古本まつりは、佃にある老人グループホーム施設「相生の里」を会場に開かれる古本まつりで、古本屋は年寄りの匂い、と思っていたワタシには、会場が老人施設だったのにはびっくり。これはシンクロニシティか?そんなわけねえだろ!それとも小さな奇跡か?うるせえな!などと一人漫才しながら、おっかなびっくり入って行くと、知り合いが誰もいないので、ひとまず本を見ながら建物をウロウロ。

古本というのは不思議です。こんな本もある、あんな本もある、そんな本まである、という世界で、この世にもう新しい本なんかいらないのでは、とさえ思います。それはふつうの本屋に行った時にも感じることです。その店の中にある膨大な本のことを考えると、グラグラとめまいがするぐらいで、ワタシの人生さえ左右した本が、何度目かの文庫本になり、売れ残るまま、書棚の下の下、端の端にひっそりとしている様を見ると愕然とします。ワタシがなにをどう描いても、その本以上のことなんか描けないというのに。ましてや、絶版となってしまった本のことまで思い浮かべると、人類はじまって以来、地球上に存在したすべての人のことに思いを馳せるのに等しいでしょう。

図式としてはこうです。人間→言葉→物語→本→いろんなもの。これが人の世の流れじゃないでしょうか。「本」はいらない、人間→言葉→物語→いろんなものだとする人もいるでしょうが、それでもいいです。問題は物語なので。では物語とはなんなのかというと、震災と津波で家族とあらゆるものを破壊されてしまった人が、もう土台しかなくなった自分の店に行ってみると、誰かが瓦礫の中から拾ってくれた商売道具が置いてあった。それを見てその人は「ここでまた店をやれってことだと思ってー」と気持ちを決める。これが物語です。なにもなくなってしまった自分の店の前に商売道具だけがポツンとおいてあった、それを見た時、その人の中にあった物語が起動したのです。その物語はその人の中にいつか埋め込まれていたものでしょう。たぶん本によって。または本から作られたものによって。

物語は人の行くべき道を示したり、苦しみや悲しみももたらす。家族を失くした悲しみ、それも物語でしょう。その悲しみを救うのもたぶん物語です。そしてほとんどの物語は本に書かれてあるのです。まったく本とは年寄りのようなもの。古本の世界では、本がまるでオカネのように流通されています。この場合の「オカネのように」というのは、「まるでオカネのようにたいせつに」という意味です。なんだかこれからの世界をさえ暗示しているようではありませんか。ワタシももっと本をたいせつにしなければ。すみませんすみませんすみません。

この「相生の里」の建物を抜けると、すぐ裏を大きな川が走っていました。最初は隅田川だろうと思っていたのですが、なんでも運河だそうで、海の匂いのする運河はワタシを癒してくれました。そしてそれはこの夏最後の水の記憶になりました。

え～、この「ものみな過去にありて」、長い間読んでいただきありがとうございます。ワタシの「過去」について書いて来ましたが、そろそろ書ける過去がなくなって来ました。よって今回を最後にさせていただきます。まったく勝手にはじめて勝手にやめてしまうわけですが、またなにか勝手にはじめたいと思っています。
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    <title>#40 こんな幸せいつまでつづくだろう</title>
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    <published>2011-07-14T04:50:58Z</published>
    <updated>2011-07-14T04:51:30Z</updated>
    
    <summary>震災からその後、4ヶ月たちましたが、なにも終わっていません。被災地の瓦礫は残った...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="40.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/40.jpg" width="240" height="400" class="photo-l"/>震災からその後、4ヶ月たちましたが、なにも終わっていません。被災地の瓦礫は残ったままだし、これからどこに住むのか、どこで働くのかも決まっていない人がほとんどで、ましてや福島原発にいたってはなんの収束も見えない。どういう災厄にしても、ひと晩寝ると少し先が見えたりするものですが、そういうこともありません。ただ仕事に復帰し、いきなり忙しいまま、毎日のように続く余震の中で、ワタシの震災の記憶だけがだんだんと固くカチカチになって行くような気がします。

震災について朝日新聞に拙文を寄稿したところ、ホメてくれる人もいましたが、当然批判する人もいました。批判については「あまりにも心情的だ」という真っ当な意見ですが、まったくその通りです。ワタシは心情的なことしか書けませんでした。

以前、村上龍の「半島を出よ」という小説を読んでいたら、冒頭で北朝鮮の兵隊が福岡に上陸し、はじめて遭遇した日本人に、北朝鮮兵がナイフを抜くシーンがあります。しかし、その日本人はナイフを見ても、逃げも叫びもしない。自分が殺されるかもしれないのに、なぜ日本人は戦おうとも逃げようともしないのか、と北朝鮮兵は驚きます。これは優れた日本人論だと思いました。その日本人は第一に「なにかの間違いだろう」、第二に「まさか殺すわけがない」、第三に「なんとかなるはず」と思ったのでしょう。そういう人が東北にも多い。そういう人によって東北は成り立って来たと言ってもいい。「そういう人」とはどういう人かというと、戦うことも逃げることもしない人です。ワタシの嫁さんのおとうさん、つまり義父もそんな人だったと思います。

ワタシの嫁さんの実家は、仙台からクルマで40分ほどの大河原というところにあり、義父が健在の頃はよく子どもを連れて遊びに行きました。大河原は町の真ん中をゆったりとした白石川が流れているところで、冬は雪があまり降らず、夏は風が吹き渡り、晴れた日には蔵王が驚くほど大きくはっきりと望めます。走っているクルマの車種や、いつも満員のマクドナルド、男女のジャージー率の高さなどからも、色濃くヤンキー文化を残す町ですが、なぜか住民はみんな礼儀正しい。今度の震災のあと、今は空き家になっている実家に帰ってみると、地盤が固いためか、ほとんどなにも倒れず、なにも壊れず、なにも盗られていなかったそうです。

自分の実家が川のある町だったからか、ワタシは川のある町が好きです。大河原の白石川も水量が多くいい川で、義父の家はその白石川に架かる橋を渡り、東北本線の踏み切りを越えたところにあります。白石川の堤防にはこの町の名物でもある千本桜が続き、この町を朝散歩するのはワタシの楽しみでした。写真はその散歩の時に橋の下から撮った白石川です。

いつだったか春まだ浅いうち、義父のクルマに乗って、勤め先である森林センターのある白石市まで、国道ではなく、その裏にある義父の通勤路を通って行ったことがありました。通ってみたら驚いた。まさにそこに広がる農村地帯は、里山写真集などいくつでも作れそうなぐらいの「日本の正しい風景」でした。

そんな町で、義父と義母の手料理を振る舞われ、腹いっぱいになると、こたつの中や畳の上で居眠りをし、目覚めるとまだ小さかった娘を連れて、散歩がてら小さい公園で遊び、夜になると家族で毎晩のように麻雀をしました。夜を徹した麻雀の後は、何時まで寝ていてもいいと言われましたが、いつまでも寝ているのは嫁さんの方でした。

ワタシはとても幸せでした。大河原から帰るクルマの中で、「こんな幸せいつまでつづくのかなぁ」といつも思っていました。そしてそれは義父が亡くなるまで20年つづいたのです。まるで奇跡のようなものでした。

今はその大河原の家も空き家になり、義父が丹精こめた庭も雑草が伸び放題で、このまま売れないとしても、貸りてくれる人はいるかもしれないということで貸しに出したら、すぐに申し込みがありました。それは震災と原発から家族で避難して来た福島の人でした。義父はきっと喜んでいるでしょう。
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    <title>#39 3月11日</title>
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    <published>2011-05-16T05:49:20Z</published>
    <updated>2011-05-16T05:49:55Z</updated>
    
    <summary>これを書いているのが5月11日です。東日本大震災からちょうど2ヶ月経ちました。不...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="39.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/39.jpg" width="240" height="400" class="photo-r"/>これを書いているのが5月11日です。東日本大震災からちょうど2ヶ月経ちました。不思議なもので、震災以前の記憶がほとんどありません。娘が正月に帰って来たかどうかも思い出せませんでしたが、嫁さんによるとカニをもらったのでみんなで食べたそうです。そう言われてみるとそんな気もしましたが。

3月11日は、ふつうに朝起きて、ふつうに仕事場に出て、ふつうに仕事していました。揺れ始めは、そんなにきつくなく「また地震か」という程度のものでしたが、これがいつまでも揺れている。宮城県は地震の多いところですが、ここ5，6年の地震はいつまでも揺れているので、なんだか嫌な感じがしていました。巷間言われている宮城県沖地震の再来については「生きているうちにもう一回あの程度の地震はあるだろうな」という覚悟はしていたんですが、今回の地震はそんなものではなかった。揺れが地鳴りしだし、建物が悲鳴を上げ、あらゆるものが倒れ、落ちて来ました。それはワタシの中にある地震の範疇をはるかに越えて、なんだか悪意を感じるほどでした。

仕事場の中はなにが壊れたのかさえわからない有様になり、激しい余震も治まらないので、ひとまずアシスタントのクルマで帰宅することにしましたが、渋滞に巻き込まれている途中に、携帯のワンセグを起動すると、自衛隊のヘリからの津波の映像が入って来ました。それは津波が横一線になったまま仙台湾に向かっている映像で、なにが起きているのかそれで理解しました。

携帯のメールも繋がらないまま、家に戻ってみると、嫁さんと向かいのお茶の先生が路上で立ち話をしていたので拍子抜けしましたが、家は思ったほど壊れてはいなかった。間抜けにも夜になってから受信した嫁さんからの第一報メールを見ると、タイトルは「うちはかいめつ」になっている。こんなタイトルのメールをもらったら誰だってびっくりするだろ、と言ったら、「いや、ウチの中は壊滅」という意味だとか。確かに玄関のドアを開けてみたら、もうそれ以上一歩も入れない状態でしたが。

停電し、断水し、ガスも止まったまま、暗くなって来たので、ひとまず物を除けて、1階の動線だけを確保しました。なにをしたらいいのかわからないまま、食べる物の心配をすると、米はあると言う。米さえあればなんとかなるだろうと、ひとまず安堵したのですが、真っ暗な中、いつ終わるとも知れない激しい余震が来るたび、リビングの壊れた窓の側からコンクリート片がピンピン飛んでくるのに恐れをなして外に出てみると、ご近所の人が寄り集まっている。話を聞くと、すぐ近くの小学校が避難所になっているとかで、嫁さんと二人で水もないまま真っ暗な家にいるよりは避難しようということになり、生まれてはじめて避難というものをしました。

水とクラッカーと毛布をもらって中に入ると、石油ストーブが3つほど燃えていましたが、3月の雪のチラつく東北の夜の体育館はそれでどうにかなるような冷え方ではない。寒さと激しい余震で一睡も出来ないまま、もうすぐ電池が切れそうな携帯で、どこなのかわからない真っ暗なところが火事で燃えている映像ばかり見ていました。

翌日、11日の午後に届く予定になっていた荷物のことを、しきりに嫁さんが気にするので、ひび割れや隆起や陥没がそこかしこにある道を二人で歩いて仕事場に行ってみると、やはり荷物を届けに来た気配がない。その荷物というのは、震災前に嫁さんの友人がネット上で発見した「ぼのぼの」の帽子を被る東方神起の画像を巡って、あちらこちらと話が転がるうち、なぜか「東方神起のサインをもらえそう」というオチになっていた。そしてほんとにCDにサインをもらい、それを送ったという連絡があり、今日届くという日の震災だったのでした。

嫁さんと娘が遅まきながら韓流に狂いはじめ、東方神起のファンだというのは知っていましたが、そのサイン入りCDの荷物は、宅配便屋も被災し、道も通れず、ガソリンもなく、電話も通じない中、荷物自体がどこにあるのかわからないまま放っておかれました。その間、嫁さんは荷物の行方を案じ、サインをもらってくれた出版社の人もいろいろ調べてくれたのですが、肝心の宅配便屋が営業を開始しない限りはどうしようもない。被災する各地の映像を見ながらも、嫁さんはその荷物のことばかり気にしていました。そして宅配便屋に電話が通じて、荷物がどこの営業所にあるのかが判明すると、嫁さんは自転車を漕いでそこに行き、従業員の人も会社のクルマがないので、自分のクルマでわざわざ取りに行ってくれたとか。

ようやく受け取ったその荷物には、嫁さんと娘用にCDが1枚ずつ入っていて、いずれも東方神起のふたりのサインと、本人がわざわざ日本語で書いてくれた丁寧なメッセージがありました。この震災で被災した人々の立ち居振るまいを見て世界中が感心したように、ワタシは東方神起の二人の誠実さにも感心し、震災の映像を見ては泣いてばかりいた嫁さんはまた泣いてしまいました。

ワタシはといえば、電気が通じたその日からテレビの前から動けず、布団にくるまったまま被災地の映像を見続けました。その中で、地元テレビ局が連日深夜に放送していた「被災者からのメッセージ」という震災番組があり、そこにはカメラに向かって訴える被災者たちにマイクを向けながら、激しく大きくただただ頷いている女性がいました。彼女が女子アナなのか、またはスタッフなのかはわかりませんが、束ねただけの乱れた長い髪に大きなマスクをしたまま、画面の端に座り、または画面の外に半分隠れたまま、しきりに頷いている。ワタシは毎晩その番組を録画し、毎晩その女性が頷くのばかり見ていました。写真はそんな頃のワタシです。
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    <title>#38 ハワイを想う</title>
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    <published>2011-03-01T01:40:55Z</published>
    <updated>2011-03-01T01:56:35Z</updated>
    
    <summary>最近、嫁さんが村上春樹を読み始めて、それでワタシにも読め読め言うわけです、嫁が。...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="38.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/38.jpg" width="240" height="400" class="photo-l"/>最近、嫁さんが村上春樹を読み始めて、それでワタシにも読め読め言うわけです、嫁が。なんでオレが村上春樹を読まなきゃいけないんだよ、と言ったら、「村上春樹も暗い話が好きなんだよ、だからアナタと通じるところがあるんだよ」とノタまう。オレ、そんなに暗い話好きかよ、と言ったら、「好きじゃない」と言う。村上春樹のモノは、翻訳の「心臓を貫かれて」しか読んでいませんが、それは大好きでした。だからと言って暗い話が好きじゃないのってどういう意味だよ、確かに「心臓を貫かれて」は十分暗い話だったけど。オレが好きなのは暗い話じゃなくて、ダークな話なの、暗い話とダークな話をいっしょにしてもらっちゃ困るよ、暗い話も好きだけど。ホラ、暗い話好きじゃない。あははは。

ここのところ暗い話、クラバナばっかりしてたので、今回は明るい話、アカバナを。だからと言ってワタシをアカバナのトナカイとか言わないでください。未熟な話だと青い話、つまりアオバナになったりしますが、まぁ、いいでしょう。

ワタシにアカバナなんかあったかな、と考えてみると、ありました、ハワイです。まぁ「明るい話」というと「ハワイ」しか思いつかないところにワタシの暗さを見とってください。とは言っても、最近行ったわけではない。ずうっと昔です。もう20年ぐらい前。その頃は時間もおカネも今よりはあったので。

ハワイはいいですね。それに気がついたのが2度目のハワイ行きの時です。その時もハワイはいいとか思ってなくて、ただいっしょに連れて行った親御さんたちにとって、海外旅行というと「ハワイ」だったからでした。嫁さんの親御さんがゴルフをしたがったので、オプションでいつでもゴルフぐらいできるだろうと思ったら、足元見られたのか、オアフ島じゃなくて、隣のモロカイ島ならできると言う。わざわざ朝4時に起きて、飛行機に乗るとか言うので、なんのこっちゃと思いましたが、ワタシは海外旅行に行くと人に逆らわないヤツになるので、とにかくみんなの言うとおりにしました。

行ってみたら驚いた。モロカイ島、空港はまるで無人駅みたいな風情で、滑走路ではヤギとかニワトリがのんびりと草を食んでいる。その空港を出ると、空港の前に右から左へ通る一本の道があるだけで、他はどこにも道らしいものが見当たらない。まだ明け切っていない空港の前で、迎えの人を待っていると、来ました来ました、その一本道のかなたから、巨大なリムジンが砂塵を巻き上げてこっちに向かって来るではねいですか。そしてそのリムジンが目の前で停まると、リムジンよりも巨大な人が!!あははは、乗ってたリムジンより巨大な人って誰だよ、話盛り過ぎ。とは行っても、そのリムジンよりちょっと小さめぐらいの人で、そりゃリムジンじゃないと乗れないよな、という感じの人っス。

リムジンに乗り込むと、一路、モロカイ島の外れにあるホテルへ。思えば、この時の車窓から見たモロカイ島の景色がすべてを決めました。木と言えるほどのものさえ生えてないまさに荒野、そのうねる地形の中に一本道が向こうまで続いている。そして太陽が昇って来て、その荒野を朝焼けの光が照らし出した時の厳粛な気持ちと言ったら。ワタシの頭の中で巨大なパイプオルガンが鳴り響いた一瞬でした。

以来、ハワイにばっかり行きました。次に行ったのがハワイ島の方で、ここでも真っ黒い溶岩がどこまでも続く地獄のような景色の向こうから、椰子の木に囲まれた天国のようなリゾート地が現れる様に圧倒されました。まったく自分が楽しむことを考えさせるとアメリカ人って天才です。

子どもが生まれてからは子どもも連れて行きました。でも子どもはハワイを嫌がります。飛行機の時間が苦痛なんでしょうね。1時間ごとに「まあだあ?まあだあ?」と聞かれました。千葉のディズニーランドの方がよっぽど喜びます。ハワイに着いても、ホテルに閉じこもったまま、泳いで、ぼ～っとして、飯食ってを繰り返すだけなので子どもはあまり楽しそうではない。観光もあまりしません。基本的に、泳いで、ぼ～っとして、飯食ってを繰り返すだけです。しかし、マウナケアの山頂で満天の星空を見た時のことは家族共通の一生モノの記憶としてライブラリされています。あんなにたくさんの星を見たことがないというより、星ってあんなにたくさんあるものとは知りませんでした。その時、ワタシは誰かに誉められてると思ったです。よくここまで来たな、と祝福されているような気がしました。漫画家になり、結婚し、子どもが生まれ、何人かの人を亡くし、2度病気をした直後に行ったので余計そんな気がしたのでしょう。祝福していたのはもちろんワタシですが。

東京に住んでいた10代の頃、ホームシックになるといつも仙台のことを想っていました。今は仙台に住んでいるので、時々ハワイのことを想います。想う場所があるというものはいいものです、たとえ行けなくても。ハワイから帰ったばかりの頃は下駄箱の中のブーツの匂いでハワイを思い出しました。あとは仕事場の床に塗るワックスの匂い。この前はポケットに突っ込んだままの古いポケットティッシュでハナをかもうとしたら、突然ハワイを感じました。

今回の写メはそのモロカイ島のゴルフ場で買った帽子です。もう21年前です。ハワイの匂いはもうしません。
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    <title>#37 ぼのぼの25年</title>
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    <published>2011-01-12T01:39:39Z</published>
    <updated>2011-01-12T01:40:13Z</updated>
    
    <summary>年が明けてだいぶたったので今さら「あけましておめでとう」もなにもないもんですが、...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="37.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/37.jpg" width="240" height="400" class="photo-r"/>年が明けてだいぶたったので今さら「あけましておめでとう」もなにもないもんですが、あけましておめでとうございます。実は今年は「ぼのぼの」連載25周年だそうです。担当のTさんは去年だと思っていたようですが、ワタシはもう30年ぐらいなったろ、と思っていました。

25年スか。長いようで短い、なんというか、とても長いあっと言う間でした。「ぼのぼの」の第1回目の原稿を描いた時のことを今でも憶えています。自分の前に新しい穴が開いたような気がしました。「これで1年はやれるかも」と思いました。たった1年かというと、たった1年です。新しいものほどそんなに長持ちしないものです。それがあなた25年、「ぼのぼの」は別に新しいものではなかったのかも。

「ぼのぼの」を描いたら、あらゆるものが一変しました。いろんな人がやって来て、みんなワタシにやさしくしてくれます。それからアシスタントを雇って、仕事場を借り、結婚もしました。その後、家も買ったし、子どもも生まれ、海外旅行もしたし、映画を作ったり、アニメをやったり、ゲームを作ったり、他人から見たらやりたい放題みたいなもんです。

その頃のことがあるので、あなたは余命2ヶ月です、と言われてもあまりジタバタしないかもしれません。いや、やっぱりするかな。ガンだと言われた時もガックリきたし。でも勤め人を30年続けた人と漫画家を30年やった人間では随分ちがうでしょう。漫画家を30年やるとあんまりやり残した感がありません。それにワタシは描きたいものはだいたい描かせてもらえた幸運な漫画家なのです。まったく幸運以外のなにものでもない。こんな幸運な漫画家はワタシで最後かもです。

25年スか。あたり前ですが、その25年後を今のワタシは知っています。あの頃いたアシスタントはとっくにいなくなり、みんななんとか世間のどこかにへばりついて生きている。どこにもへばりつけなかったヤツもいます。ワタシも本が売れなくなり、子どもはもう家を出て大学生です。家はボロボロになり、2代目の猫はもう年寄りで病気がちだし、田舎のオフクロもだいぶボケてしまい、嫁さんだけが馬だの韓流だのツイッターだのと元気です。あははは。

せっかくの25周年だというのに、なんだか盛り上がらないなと思うかもしれませんが、しかし、ワタシは25年前のワタシより、今のワタシの方がしっくりくる。なぜなら、今の自分の方が25年前の自分より「前にいる」という気持ちがあるからです。

ワタシはお酒を飲まないので、忘年会とかは1回か2回しかやらないのですが、毎年二人だけで忘年会をやっている友だちがいます。

彼は身体障害者の職業訓練校時代の友だちで、足が悪くて、今は服のリフォーム屋をやっている。30年ぶりで街中でバッタリと再会した時、彼は年老いた母親といっしょでした。なんでも盲腸炎を長年我慢していて、それがとうとう膿が漏れ出し、危なく死ぬところだったとか。その日は緊急手術のあと退院した帰りでした。聞くと、訓練校を出た後、染物をやろうと思って染物会社に入ったそうでしたが、どうも肉体労働の部分で足が悪いというのがつらくなり、辞めてブティックをはじめたが、2年で潰れてしまったそうです。

次に、父親に頭金を借りて、住居兼店舗を建て、そこでリフォーム屋をはじめます。その年に二人だけの忘年会をやったら父親が亡くなったとかで、最近でこそ夏も飲んだりするのですが、その頃は年末の忘年会でしか会わない。するとなんだか毎年いろいろあるヤツで、いつだったかはボケて特養に入れていた母親が死んだと言う。次の年には自分が風呂場で心筋梗塞を起こして救急車で運ばれたという話をする。次の年には内縁の妻の彼女が夏に脳梗塞を起こして入院してリハビリ中だとか言う。一昨年の忘年会では、その内縁の妻の連れ子の娘が、失恋沙汰からノイローゼになり、精神病院に入院してしまったとか。

ワタシは言いました。「おまえはなんか毎年々々前に進んでるな」と。どういう意味か説明したら、笑っていました。それで昨年の忘年会、「またなにか前に進んだのか?」と聞いたら、「あの精神病院に入院した姉ちゃんな、退院して今は自転車漕いで通院中なんだ、今日も病院に行って来たんだ」と。その日は風も強く、とても寒い日でした。ワタシはそのお姉ちゃんが吹き荒れる寒風の中、自転車を漕いで通院している姿を思い浮かべました。そして「あぁ、また前に進んだんだな」と言ったら、彼はゲラゲラと笑い出しました。

今回の写メはワタシが22年前にはじめて仕事場を構えたビルです。入り口の上にIMビルとあります。ワタシの名前が「いがらしみきお」なので、シャレでこのビルに決めました。3階がワタシの仕事場のあったところです。このビルは今もあります。
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    <title>#36 さよならパソコン</title>
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    <published>2010-11-22T04:07:51Z</published>
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    <summary>パソコンについて書いておかなければいけないでしょう。ワタシが休業した理由というの...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="36new.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/36new.jpg" width="240" height="400" class="photo-l"/>パソコンについて書いておかなければいけないでしょう。ワタシが休業した理由というのは、表向きには「ホラー劇画を描く」ということでしたが、裏向きには「パソコンをやる」ということでした。休業前の頃からジリジリとマイコンブームが来ていて、パソコン雑誌のアスキーだのログインだのを本屋で見かけるようになってから「これはいったいなんなのかいな」と思いながらも、なるべく避けて通っていました。なにがはじまっているのかはわかりませんでしたが、マイコンというかパソコンというか、モニターとキーボードがセットになったその姿を見ると「これに手を出したら漫画なんて描いていられなくなるはず」という予感がありました。完全なひとめ惚れ、ボーイ・ミーツ・パソコンっス。

それで休業し仙台に出ると、すぐさま電気屋に出向き、MSXたらいう初心者向けのパソコンを買ってしまいます。さぁ、やりまっせ、朝から晩までプログラム打ち込みまっせ。BASICだっせ。なにを打ち込んでいるのかさっぱりわからないまま、パソコン雑誌に掲載されているプログラムリストを、片っ端から打ち込むワタシがいたのでした。楽しかったです。寝てる暇なんかなかったです。ましてや漫画を描いてる時間なんて。

それからは、グラフィックやるからとMSX2を買い、オリジナルビデオ作るからとX1turboを買い、海外のゲームやりたいからとMacに手を出し、青色申告やりたいからとPC98を買い、キミも欲しいかと人にも買って上げ、いよいよ仕事にも使うんだと札束ワシ?みにして秋葉原にMacⅡを買いに行ったりしました。ちょっとバカ自慢させてください。その後もBBSを開局するために全国の草の根BBSを訪ね歩いて電話代がひと月12万円になったり、やれレザープリンタだ、スキャナだ、液晶タブレットだ、CGソフトだ、なんだ神田正輝で、結局パソコンには2千万は貢いだかも。でも知り合いの編集者は競馬に3千万使ったそうです。以上、バカ自慢でした。

ワタシはなぜこんなにパソコンに魅入られたのか。基本的には「マシンになにかやらせる」という欲望だと思います。しかもキーボードを使って。これが音声入力だったらめんどくせーのでやらなかったしょう。ではなにをやらせたかったのかというと、やはりイメージとしては「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALです。HALを作りたかった。HALでなにをするかというと、お話をするのです。どんなお話かというといろんなお話です。そしてHALはワタシのことを理解するようになり、理解するようになったHALはきっとワタシと同じになっているはずです。ワタシはワタシと同じヤツが欲しかったのでしょう。またはワタシとは違うワタシが。

昔々のMacのゲームに「Racter」という人口知能風ゲームがあって、これをやるためだけにMacを買ったと言ってもいいぐらいです。それはあたかも人間と会話する知能のようでありながら、実は入力された文の中のキーワードを拾って、それに対応した答えを表示するだけのデタラメ知能だったのですが、ワタシは熱狂しました。しかし、これは英語なので今ひとつよくわからない。そこで日本語のものを自分で作ろうと、そのプロトタイプとして俳句ゲームを作った。これは五、七、五に入るデータをランダムにくっつけて表示するだけなのですが、なかなかメチャな俳句が出て来て笑えました。未だかつてワタシをあんなに笑わせたヤツはいません。

そして事務所を作って何人か人を雇うと、漫画家のアシスタントなのに毎日プログラムばかり打たせました。その成果は「トーキングぼのぼの」という人工知能ゲームに集約され、コミケとかパソケとか通販とかで売ったら300万円ぐらい儲かりました。あの「Racter」を超えるものだったと自負しています。BASICでしたけど。

そのあたりがワタシとパソコンの蜜月の頃で、Windowsとインターネットが出来るとワタシのパソコン熱は急速に冷めて行きます。その頃からもう誰もプログラムを打ち込んだりしないし、パッケージソフトもゲームやビジネス物ばかりで、ワタシの熱狂はゲーム機の方へ。

ワタシはキーボードでパソコンと対話したかったのです。なのになんですか、あのマウスたらいうものは。なにがクリックだ。世の中を横着者ばかりにしやがって。クリックなんかでなにか出来ると思うなよ。とか、またワタシのバカ自慢がはじまりそうなので、この辺で結論を。

子どもの頃、ワタシが憧れるほどあらゆる才能に恵まれたヤツがいて、彼は勉強でもスポーツでも楽器から絵から、それこそなんでもやれました。いったい末はどんな人間になるのかと思って見ていたら、高校を卒業し、大学を出て、ある大企業に就職し、今はそこのシステム事業部とかいうところにいるとか。東京に家を建て、嫁さんと子どもも二人いるそうです。とても幸せそうです。それも人生です。いいさ、なにも言うまい。でも、さよならパソコン。さようなら。]]>
        
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    <title>#35 この道を知らず</title>
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    <published>2010-10-09T14:14:52Z</published>
    <updated>2010-10-09T14:18:59Z</updated>
    
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        <![CDATA[<img alt="35.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/35.jpg" width="240" height="400" class="photo-r"/>この前、取材があり「仙台で思い出の場所は?」というテーマだったので、ワタシが田舎から仙台に引っ越して来て、はじめて住んだところを指定しました。その場所を実際に歩きながら話しながら、という企画なので、当日そこに出向いてみたら驚いた。その地域の再開発が進んでいるのは前から知っていましたが、ワタシが住んでいたアパートも行きつけの定食屋もすでになくなり、通りごと町ごと掘り返され、ポツンポツンと残る数軒の家を残し、はるか仙台駅まで見渡せるそのありさまは、まるでグランド・ゼロか爆心地のようでした。いや、ほんとに。

不健康極まる生活から一転、休筆してからのワタシは突然ハイになりました。なにしろひさしぶりに遊べるんですから。遊ぶと言ってもワタシはお酒は飲まないし、ギャンブルもやらないし、女遊びもしない。じゃあなにをして遊ぶのかというと、ボウリングとか映画とかパソコンとかです。情けないス。すみません。あとゲートボールとかもやってました。合宿までやったりして。すみません。

なぜ仙台なのかというと、15歳の時に1年だけ住んだ仙台の甘美な思い出が忘れられなかったのと、「東京に出る」というと、借金抱えて帰って来たワタシを知っている親が反対すると思ったので。それにワタシの目当ては映画にありました。映画さえ観れればいい。とにかく毎日毎晩映画を観よう、気持ち悪くなって吐くまで観ようと思っていました。とにかくオカネが尽きるまでは映画を観るつもりでした。なんでそんなに映画にこだわったのかというと、もちろん大好きだったからです。あははは。

あははは、とか言って、ひとり楽しがっていたら、いきなりオヤジが亡くなりました。仙台に引っ越してからまだいくらもたっていない頃で、心筋梗塞でした。ワタシがいなくなったら弱ってしまったような感じがして、なんとなく気が引けましたが、今さら帰るわけにも行かないので、結局、映画三昧の生活に突入!!あははは。あははは、じゃないって。

当時のワタシの一日のスケジュールは、毎朝9時起き、朝食後、炊事洗濯掃除。昼食後、描き下ろしの漫画執筆。夕方から街へ出て、夕食後、映画館へ。オールナイトだと連荘の場合もあり、映画のあとはその頃爆発的に増えたレンタルビデオ屋へ。そのあと自宅で深夜までビデオ鑑賞。日曜だと朝から街に出て、また映画館めぐり。2時頃食べる遅い昼飯はとてもとても幸せな時間でした。

田舎では壁に向かって漫画ばかり描いていましたが、仙台に来たらいろいろ見るものが増えました。なにより街や景色が楽しい。田舎から出て来たばかりの人間にとって、どこにでも人の気配がするというのは素晴らしいことでした。自転車に乗り、用もないのにあちこちと遠出し、そこにある橋を見たり、学校を見つけたり、小さい川を見つけては満足して帰って来る。夜は夜で風呂をあがるとベランダから、または非常階段の踊り場から仙台の夜景を見ていました。冬でも椅子を持ち出して夜景を見てたりするので管理人に怪しまれ、立派な双眼鏡を買ったのもこの頃なので、さらに怪しまれました。遠くの山の方にもキラキラと光る街の灯りがあって、その辺を双眼鏡で見るとクルマのヘッドライトなどもはっきり見える。街の灯りもクルマのヘッドライトも人の気配です。もともと人と会うのが好きな方ではなく、人付き合いもいい方ではない。でも人の気配だけは好きだったんでしょう。今でも遠目に街灯を見るのが好きです。灯りを見るとそこで暮らしている人のことを思い浮かべます。思い浮かべてなにをするというわけではないのですが、なんだかうっとりするのでした。

この年ではなく、次の年の1年を日記につけました。そしたら1年間で520本の映画とビデオを観ていたらしいです。「らしいです」というのは、その日記を出版したところ、ファンの人がわざわざ数えて教えてくれたのでした。しかし、映画を観すぎて吐いたりはしなかったので、まだまだこの生活を続ける覚悟はあったんですが、2年するとオカネがなくなりました。

グランド・ゼロや爆心地のようになってしまった、ワタシが25年前に自転車で走り回ったあたりを見ていると、警世するのでもなく、非難するものでもないのですが、「こんなことをする権利は誰にもない」という言葉が頭に浮かびました。叫んだり、なにか訴えたりするわけでもないのですが、「こんなことをする権利は誰にもない」と感じました。この跡地に「アンパンマン・ミュージアム」を作る予定があるそうですが、そういうセンスについては糾弾でも弾劾でも罵倒でもいくらでもしたいと思いますです。

というわけで、グランド・ゼロと化した風景を写メしようかとも思ったんですが、結局、近所にありながら、一度も自転車で通ったことのなかった路地を撮りました。この道のことがずうっと気になっていたのですが、今回も通らないで帰って来ました。]]>
        
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    <title>#34 夢を追う</title>
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    <published>2010-08-26T02:33:55Z</published>
    <updated>2010-08-26T02:35:34Z</updated>
    
    <summary>え～、今回のタイトルは「夢を追う」です。なぜそんなタイトルにしたかは秘密です。し...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="34.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/34.jpg" width="240" height="400" class="photo-l" />え～、今回のタイトルは「夢を追う」です。なぜそんなタイトルにしたかは秘密です。しかし、ワタシも漫画家になりたいとか思いながら夢を追って来たわけなので。

ひとまず24歳の時にデビューしましたが、その出版社はすぐ潰れてしまい、そのあと漫画の方はベタ凪状態になります。しかし、デビューは果たしたので当時勤めていた印刷屋を辞める決心は固まっていました。そんなある日、昼飯を食いにウチに戻ったら、今も36年物の現役エロ漫画編集者であるTさんから電話があったことを聞き、ワタシはなぜか外に出て公衆電話からかけ直した。なんとなく家族に聞かれたくなかったんでしょうね。これで会社を辞められると思ったので。

漫画の注文があったとは言っても、エロ漫画雑誌はだいたい月刊です。しかも4コマ漫画は4ページが基本。原稿料が1ページ3500円ぐらいだったので、会社を辞めたあと、すぐご飯食べて行けるものではない。しかし、当時はエロ劇画ブームというものがまだ続いていたので、雑誌はいくらでもありました。そのTさんの出版社は、下請けのプロダクションも含めると何誌ものエロ系雑誌を出していたし、エロ漫画の業界というのは横の繋がりが密なので、漫画家の使い回しはザラです。そのうちTさんのもとに、これまた34年物の現役エロ劇画編集者であるSさんから「おめんとこでネームがやたら長い4コマ描いてるヤツいたろ」などと連絡があったあたりから、アレよアレよアレアレよ、と言う間に仕事が増えました。当時のエロ漫画雑誌というのは、ストリップ小屋の幕間のお笑いのように、エロの合間に必ずと言っていいほど4コマ物やナンセンス物を入れていたので、仕事は毎月増えて行った。そのうちメジャーな雑誌からも注文をもらうようになると、月の連載本数が22本という状態になり、週刊や隔週もあったので締め切りは1日2回とか3回あったりするし、起きてから寝るまでは机の前、休みも2ヶ月に1回、友だちが誘いに来ても断り、インフルエンザでも休まず、漫画の鬼よ、鉄人よ、人間発電所よ、いや、世界の荒鷲よなどと言われ、お正月もお盆も仕事してました。つまり漫画を描くのがそれだけおもしろかったんでしょう。会社にも行かず、毎日漫画を描いてればいいなんてまさに夢のようでした。

しかし、夢は掴んだあとがたいへんです。そんな生活を4年つづけたある日、前歯は抜け、髪は薄くなり、尻の穴はボロボロで、効いてもいない薬をいくつも飲んだり煎じたり塗ったり挿したり吸ったりしている自分に気がつきました。それにこのまま続けるとワタシの描くものはギャグではなくなるという予感があった。つまり、目の前に滝が迫っていたのです。ワタシのよく見る悪夢ベスト1は、激流の中を滝に向かって流れて行くパターンなんですが、後年、イグアスの滝をテレビで見た時、「あ、この滝、この滝」と思いました。

この頃、滝に向かって流れて行く悪夢を何度も見たので、誰だってオレこのままじゃヤバイと思うわけです。黙って滝から落ちてしまうのが漫画家というものかもしれませんが、ワタシは落ちたくないと思ったので、全部休業することにしました。そう決心すると、この世に決心ほどおもしろいものはないので、なんだかひさしぶりに全身に力がみなぎる思いで、方々の出版社に「休ませてくだせいっ」と電話しまくっては、みなさんを怒らせたのでした。怒鳴りまくる人、だんだん声が遠くなって行く人、15分ぐらい荒い鼻息しか聞こえなかった人、しかし、一番印象に残っているのは「そうですか、わかりました」だけで電話を切られた時です。あははは。

前述のTさんとSさん、そしてもうひとり、今はピンク映画の監督をしているYさん、この3人と会って謝った時のことは忘れられません。Tさんには「オレもんのすごい頭に来たよ」と言われ、Sさんには小便をかけられ、Yさんにはウフフフと笑われました。その後、4人でSさんのアパートへ行き、雑魚寝し、朝飯にカレーを食わせてもらいました。うまいカレーでした。

そのワタシも今では31年物の漫画家になりました。つまり夢を掴んでから31年間やって来たわけで、それを幸せだったと言えば幸せに、不幸だったと言えば不幸に、バカヤローと言えばバカヤローになってしまうものですが、夢を追う人にひと言だけアドバイスするとすれば、「夢は追いなさい、たぶん叶わないだろうけど」です。なぜなら、前にも言いましたが、ワタシは今でも時々「漫画家になりたい」と思っているのです。

今回の写メは田舎で漫画を描いていた頃に使っていた学習机です。まだ実家にあります。44年物です。なんだか物がいっぱい載っています。]]>
        
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    <title>#33 ペルソナ</title>
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    <published>2010-07-10T10:09:51Z</published>
    <updated>2010-07-10T10:12:02Z</updated>
    
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        <![CDATA[<img alt="33.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/33.jpg" width="180" height="320" class="photo-r" />先日、はじめて競馬場に行きました。福島競馬場です。馬好きの嫁さんのお伴で行って来たんですが、ワタシの家から福島まではクルマで1時間半ぐらい。福島の町を通るのははじめてじゃないですが、いいですね、福島。古びた家並みが昭和を感じさせます。昭和どころか明治を感じさせる家もありましたが。

その家々の真っ只中に競馬場があると言うので、ちょっとびっくり。案の定、周辺の道は渋滞だらけで、しかし、クルマで来ている人も歩いている人も雰囲気がハレっぽく高揚しています。みんな一刻も早く競馬場に行きたいんでしょう。そんなに早く行きたいもんですか、競馬場って。

入場券を買おうとして、一歩中に入ると、うおぉ、これが競馬場っスか。建物はともかく、来てる人がスゴイ。なんつぅか、みんなどこかで見たことがある、と思ったら、鬼海弘雄の写真集「PERSONA」(ペルソナ)に出て来る人たちではねいでぃすか。どうせみんなここで検索するんでしょうから、「PERSONA」については説明しませんが、ワタシの大好きな写真集です。ここに出て来る人たちだけで漫画を描いてみたいと思ったことさえあります。ぜひご覧ください。ワタシの言う「ペルソナ」とはどういうものなのかよくわかるはず。

しょっぱなからペルソナの人たちに圧倒されたままエスカレーターに乗ると、上に行くほどペルソナ度が薄くなるのに気がつきました。我々の座った4階の指定席は二人隣り合わせの席のためかカップルが多いのでペルソナ度はさらに薄い。そして5階の方だと馬主とかエグゼグティブとか高貴な人たちがいるらしく、ペルソナ度は限りなく0に近いかも。いやいや、もしかすると反対にペルソナ度がぐい~んと高くなっている可能性もありますが。あははは。

とにかく1階のペルソナ度は凄まじかった。まだ午前中だというのにスポーツ新聞を敷いて寝てしまっている人や、まるで家出した妻の書き置きを読むが如く競馬新聞を睨みつけている人、立ち食いそばをかきこみながらエスカレーターを駆け上って来る人もいるし、通路の椅子を机がわりにして競馬新聞を3つも4つも広げて壁に向かったままピクリとも動かない人もいるし、ここではとても書けないような人もいました。みんな競馬以外のこと、自分にさえ興味がなさそうで、そのファッションのジャージー率の高いこと、それからTシャツ率とノースリーブ率も高かったことも、ひとまずご報告しておきたいと思います。

鬼海弘雄の「PERSONA」には、きっと50パーセント以上の確率で我々の将来の姿が写っているのではないでしょうか。ワタシはこの写真集に写っている人たちを恐れを持って見ました。ワタシはこういうことをおもしろおかしく言うヤツではありますが、決して誰かを差別するつもりはないので念のため。ついでに誤解を恐れずに言えば「PERSONA」には「人の果て」が写っていると思います。

24歳の時、印刷屋に勤めてもう4年たっていました。田舎の暮らしにもバンドにも飽きて、日々強くなるジリジリとした焦燥の結果、生まれてはじめて4コマ漫画を描いてみた。そして7月のある日、会社を無断欠勤して夜行列車に乗り、東京の出版社に向かいました。上野に着いたのがまだ7時前、ひとまず開いている喫茶店でピザトーストなんかを食べ、エロ劇画誌を出している出版社をふたつ回りました。ひとつは午前中なので誰もいなくてビルの守衛のおじさんに門前払い、もうひとつは控えてあった住所には会社もなにもなくなっていて呆然としていたら、近くを歩いていた日本人とは思えないおばさんに「その会社もうそこないよ、あっちの印刷屋の2階いるよ」と教えてもらい、木造の印刷屋の木造の階段を上って行くと、そこもまだ誰もいないという。しかし、夜行での強行軍でもう疲れてしまっていたので、「原稿おいて行きますんで編集部の人に渡してもらえませんか」などと適当なことを言うと、午後は新宿で映画かなんか観て帰って来てしまいました。そのおいて来た原稿がデビュー作になったのですが、まったく人の運命はわからないものです。木造の印刷屋の場所を教えてくれたあの日本人とは思えないおばさんがいなかったら、ワタシもどんな「人の果て」になっていたか。

今回の写メは嫁さんの携帯で撮ったものです。福島競馬場前です。ワタシも片隅に写っています。アロハ着てます。「ペルソナ、ペルソナ」言っていたら、「パパだってペルソナっぽいよ」と言われたことをご報告して終わらせていただきます。
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    <title>#32 箱根へ</title>
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    <published>2010-05-15T09:17:36Z</published>
    <updated>2010-05-15T09:18:04Z</updated>
    
    <summary>娘が大きくなりましてね、もう大学生です。今春から横浜の方に引っ越しました。それで...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="32.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/32.jpg" width="240" height="400" class="photo-r" />娘が大きくなりましてね、もう大学生です。今春から横浜の方に引っ越しました。それで今は嫁さんと二人だけの家庭です。子どもがいなくなると果たしてどうなるかと思ったんですが、いたものがいなくなるというのはやはりさびしいものです。娘が階段を下りて行く時の「トントトン」という音がしなくなりました。

大学に合格して勉強もあまりする必要がなくなった頃、家族三人でやれることというわけで、何度か映画を観に行きました。そのうちのひとつが「かいじゅうたちのいるところ」です。これは家族でとても楽しみにしていました。なにしろ原作の「かいじゅうたちのいるところ」は、娘が子どもの頃、何度も何度も何度も何度も何度も何度も読んであげた絵本です。嫁さんがお風呂に入れる役で、ワタシが寝かしつける役でしたが最初は逆でした。ワタシがお風呂に入れる役で、嫁さんが寝かしつける役。それが娘の頭を洗う時に、ワタシがお湯を頭からガッパリとかけてしまうので嫌われました。頭を洗う時にシャンプーが目に入るのを怖がるヤツだったので、サッサと終わらせるためにガッパリかけてたんですが、まぁ、それはいいです。

それで「かいじゅうたちのいるところ」。予告の画面やポスターのさびしげな雰囲気を見たら、もう家族で涙目になってしまい、スパイク・ジョーンズが監督するというのがどっちに転ぶか不安でしたが、まちがいなくいい方に転んでると思いました。なにより怪獣たちがCGではなく着ぐるみだったので。

そして観に行くと、オープニングの音楽が聞こえると同時にワタシは無防備になってしまったのです。こんなに無防備に映画を観るなんて何年ぶりだろう、てか、もしかしたらはじめてじゃないか、とさえ思いました。最近なにを見てもメソメソ泣いてしまう嫁さんは、もう最初っからウルウルグズグズダラダラでした。娘はというと、主人公のマックスが怪獣たちと楽しく暮らしているところを見て「あぁ、こんなに楽しそうに暮らしてるのに別れてしまうんだなぁ」と思ったら泣けたそうです。つまりこれは自分の状況にかけているわけです。娘は高校とかとても楽しそうに通ってました。それに自分の家だって好きだったはず。そして友だちも。それが大学に行くという理由だけで、友人たちと別れ、仙台と家からも出て行かなければならない。なんだか理不尽です。それで泣けたんでしょう。

ワタシは、マックスとの別れの時、怪獣のキャロルに真ぁぁっっっ正面から「お～～～～～～ん」と泣かれたので、たまらず「わ～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～ん」と泣いてしまいました。頬を伝う滂沱の涙に、映画観てこんなに泣くなんて何年ぶりだろう、てか、もしかしたらはじめてじゃないか、とかまた思いました。

先月、友だちの結婚式に行って来ました。場所は箱根です。箱根なんてはじめてです。それでせっかくなので、その帰りに神奈川に住んでいる知り合いのお宅にもお邪魔し、翌日は横浜にいる娘にも会って来ようというプランを立てました。なのにワタシはその前に風邪をひき、治りかけの咳だけがいつまでも残っている状態で、まぁ、なんとかなるだろと思ったら、4月なのにとんでもない寒波がやって来て、静岡、神奈川、東京と周ったのに、どこへ行っても仙台より寒い。特に箱根に前泊まりした時は、朝起きたら窓の外が真っ白で、ボドボドボドと大雪が降っていたのにはまいりました。

新郎54歳と新婦45歳の初婚のカップルにお祝いの言葉をかけ、ウェディング・パーティを引き上げると、急いで強羅の駅に向かい、箱根登山電車に乗りました。ほほ~、これが箱根の山の登山電車か、と思いながら、景色を見ようにも外は冷たい雨が降っていて、窓が曇ってしまいなにも見えない。しかたないので、ワタシの前に立った韓国人新婚カップルのアツアツベタベタエヘエヘ状態でもミセヨ、カンサツサセヨとか思っていたら、どんどん眠くなってしまい、例の有名なスイッチバック走法というのもウツラウツラした頭では単なる逆走のようでした。

神奈川の知り合いのお宅ではおいしいお刺身をごちそうになり、人の家の味噌汁はうまいなぁ、などと勝手なことを思い、そして娘のいる横浜へ。

横浜にいる娘はなんだか変な感じでした。だって娘が横浜にいるなんて。とにかくご飯をいっしょに食いに行き、「ほ～ら、箱根の山の登山電車」と言いながら、強羅で撮った写メを見せると、娘「お～～～～～!!」、「すごい、箱根の山の登山電車!!」と言いました。

昔々その昔、娘がまだ子どもだった頃、「はこねのやまのとざんでんしゃ」という絵本が好きで、これも何度も何度も何度も何度も何度も何度も読んであげていたのでした。その絵本のラストの「強羅～、強羅～、終点で～す」というセリフを、ワタシは横浜駅地下の喫茶店の中で高らかに言ってみたりしたのでした。そして娘には風邪を置き土産にして帰って来ました。ごめんよ。あははは。]]>
        
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    <title>#31 ミュージシャン・コンプレックス</title>
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    <published>2010-04-17T03:19:07Z</published>
    <updated>2010-04-17T03:19:43Z</updated>
    
    <summary>バンドをやる漫画家は多いです。思いつくだけでもあの人この人あんな人とたくさんいま...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="31.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/31.jpg" width="240" height="400" class="photo-l" />バンドをやる漫画家は多いです。思いつくだけでもあの人この人あんな人とたくさんいます。誰だ、「あんな人」って。あははは。

かくいうワタシも印刷屋に勤めながらバンドをやっていました。パンク勃興の頃なので、まさに音楽は最強モードの時。バカだからやっぱりパンクやったです。ジャムとかストラングラーズとかイアン・デューリーがお気に入りでした。ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルのマネをして、曲を作ってベース弾きながら黒のスリムジーンズはいてボーカルやってましたが、まぁ、お笑い芸人のはなわと変わらない。いつだったか、ひさしぶりにベースギターのケースを開けてみたら、その頃に作ったオリジナル曲のメモとか歌詞が出て来て、そばにいた人間に見られましたが、我が生涯あんなにはずかしい思いをしたことはない。戯れに描いたエロ漫画をおふくろに見つけられた時の方がよっぽどマシでした。

バンドをやっていたというと、パートはなんだったとかよく聞かれますが、ワタシはベースからはじめてギターとドラムをやりました。バンドのメンバーが抜けると、そのパートを受け持ったりする泥縄野郎なので、だいたい見よう見まね、譜面も読めないし、結局、なにひとつモノにならなかったです。やっている音楽もパンクからはじまって、イベントのステージに呼ばれるとダンパ用ロックンロールをやり、ホテルのパブに出るために歌謡曲までやるという節操のなさで、しまいにメンバーが3人しかいなくなると、いきなりフリー・ジャズはじめるようなわけわかんないバンドでした。バンド名は「馬の骨」っス。

バンドをやっていた3年間はなんでも起きました。家出、駆け落ち、同棲、妊娠、結婚、ケンカ、交通事故、警察沙汰。ほんとです。漫画だけ描いてたらなにも起きなかったでしょう。青春したけりゃバンドやれ、というのは鉄則です。もっともそんな青春したい若い人が今時どれだけいるのかわかりませんが。

ワタシにはいとこの兄妹がいて、兄の方は鼻の穴がほんとに小さいヤツで、あまり小さいので小指も入らないぐらいでしたが、どうやって鼻糞ほじくってたのかはともかく、今回の話は妹の方です。幸せうすい娘でした。兄は鼻の穴が小さいし、おじさんは酒○だったし。コロコロとした体形でよく笑う女の子でしたが、鼻の穴の小さい兄はその妹を邪険にし、実はワタシも邪険にしていました。

おじさんおばさんが共働きということもあって、小さい頃はよく兄妹でワタシの家でご飯を食べていた。そうすると自分のおかずも少なくなってしまうので、子どものワタシとしてはなんだかおもしろくなかったんでしょうね。了見狭いです、ワタシも。しかし、妹の方は邪険にされてもいつもニコニコと笑っている。

ワタシが東京から帰って来て、印刷屋に勤め出した頃、彼女はさらに丸々とした高校生になっていました。ワタシは昼飯はウチに帰って来て食べていたので、その時間帯によく遊びに来るようになり、漫画家になるとかホラ吹いてるヤツだったので、ワタシが親しみやすかったんでしょう。ま、それだけが理由じゃなかったですが。

最初は東京の話とかしてやっていましたが、そのうちまためんどくさくなり、だんだん邪険になる。まぁ、バンドやってるから遊びに来いとか言ったら、来ました。何度となく。練習していた公民館が、そのいとこの家から近かったというのもありますが。

バンドのメンバーとも顔見知りになった頃、彼女は家出をした。おばさんから電話がかかってきましたが、どうもはじめての家出ではない雰囲気でした。ともかくバンドの他のメンバーにも電話してみたのですが、誰かから伝わったのか、当時ボーカルとキーボードをやっていた女から「隣り町のスナックでいとこを見た」という電話が来た。それでその件をおばさんに電話したんですが、ワタシは耳が悪いので、どこかで間違って伝わってしまったらしく、いとこはそのボーカルの女といっしょにいるという話になってしまったみたいで、折り返しその女から猛烈な抗議の電話が。「あんだ、なぬ聞いでんの!」「誰がいっしょにいるなんつったの!」「そのスナックで会っただげだっつうの!」「あんだ悪いっ」「あんだが悪いっっっ」。ドラマーの女でしたが、怒らせるととても怖い女でした。しょうがないのでバンド仲間にクルマを出してもらって、そのスナックとか行きそうなところを探し回りました。もう夜中なので見つかるはずもないのに。

3日ぐらいしてから、いとこが見つかったという話を聞いたのはおふくろからでした。友だちのところに泊まっていたそうな。ワタシはワタシでムカついていたので、もうどうでもよくなってたです。

その後、そのいとこに会ったのは、彼女が高校を出た頃で、別人のようにスリムになっていました。実は彼女は若年性糖尿病だったと聞いたのもその時です。家出の件のこともあったので、なんだかよそよそしいまま別れましたが、まさかそれが最後になるとは思いませんでした。その翌年、彼女は結婚し、盲腸の手術中に亡くなってしまいます。糖尿病の食餌療法などで体力が落ちていたのが原因とか。まだ20歳でした。早すぎる結婚でしたが、早く家を出たかったんでしょう。

お盆などのお墓参りではそのいとこのお墓にも手を合わせて来ますが、なんだかいつも後ろめたい気持ちと引け目を感じます。彼女は嫁いだ家のお墓ではなく、実家のお墓に入っているのでした。そのお墓にもう30年もひとりぽっちで入っているのです。その事情は聞けないままですが。

写メは、先月ゴンチチのコンサートに行き、楽屋を訪ねた時のものです。真ん中がワタシです。わかるでしょうか、ワタシのコンプレックスが。]]>
        
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    <title>#30 大地震</title>
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    <published>2010-03-11T04:52:16Z</published>
    <updated>2010-03-11T05:30:29Z</updated>
    
    <summary>地震が多いですね。スマトラ、ハイチ、ペルーと、日本だけじゃなくて世界中で地震が起...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="30.jpg" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/30.jpg" width="240" height="400" class="photo-r" />地震が多いですね。スマトラ、ハイチ、ペルーと、日本だけじゃなくて世界中で地震が起きている。昔は「地震」というと日本が本場だったような気がします。他の国で時々起きる地震はまさに天変地異という感じですが、日本だとあくまで天災というか、3年に一度はなにか名前のつくぐらい大きな地震があったような。

地震はなにもしなくても来る時は来ます。ある日突然来る。しかも東海とか関東とか宮城県とかだと震度7～8ぐらいの地震がいつ来てもおかしくない状態だとか言われて久しい。なのに誰も逃げたりしないのは、とりあえずみんな逃げたりしないからだろうし、必ず家が壊れるわけじゃないからだし、自分が死んだりするとは思ってないからなんでしょうね。なんなんですかね、「自分だけはだいじょうぶ」という、なんの根拠もない自信というのは。

23歳の頃のワタシは田舎の印刷屋に勤めて、チラシとかポスターなんか作っていましたが、早く辞めたそうな顔をしながら、毎日きっかり15分遅刻して来るようなヤツでした。まったく社長とか同僚から見たら、ムカつくヤツだったのは間違いなくて、花見だの送別会だの忘年会があるとだいたい誰かにカラまれてました。カラまれては睨み合い、罵り合い、掴み合い、そのうち誰かが吐いたり正体不明になるとお開きになるのでした。だからワタシは今でも花見とか送別会とか会社イベントなんか大っきらいっス。はははは、悪いのは自分のくせに。

とにかく鼻持ちならないヤツだったのは間違いない。こんな商店街のオヤジっぽいチラシとか、役場っぽいダサダサのポスターとか、ふざけんなバカヤロー!!とか思いながら、仕事はしつこくマジメにやってました。

とは言え、仕事以外はサイテー野郎だったのは間違いなくて、こんなヤツ、ウチのアシスタントだったら3日でクビか、先生のワタシの方が辞めて出て行ってしまうでしょう。

毎日毎日、耳が悪いのを隠したまま聞こえてるふりをし、その辺で買った沖縄のTシャツを着ては沖縄万博に行って来たとかウソをつき、ちょっとムカつくと「来月で辞める」とか宣言して社長に給料を1万円上げさせ、客のクレームをロクに処理できない先輩をハナで笑い、今日から残業だと言われればいつもの15分の遅刻を30分にし、東にビンボーな子どもいれば目の前でタイ焼きをうまそうに頬張り、西に体の弱い人いれば隣でスパスパとタバコを吸い、南に疲れた母いれば晩飯はまだかと怒鳴りつけ、北にケンカしてる酔っぱらいがいれば火に油をそそぐようなことをしては殴られるのでした。

ワタシは早くクビになりたかったんだと思います。だったら自分から辞めればよさそうなものですが、なんか大義名分が欲しかったというか、言い訳が欲しかったんでしょう。なんの大義名分かというと漫画家になる大義名分です。なんの言い訳かというと、家族に対する言い訳です。クビになれば漫画を描かざるをえないだろうとか考えていました。つまり漫画が描けなかったわけですね、この頃。写メは当時のワタシです。あははは、こりゃ殴られるに決まってる。

そして6月のある日、宮城県沖地震が起きます。今まで経験したことのない縦揺れの中でパニクりながらも、天井の低い木造2階建てのその工場が潰れれば会社はなくなると思ったです。しかし、2階に積んである紙の山が雪崩れのような轟音を上げて崩れ、鉛の活字や物が散乱しただけで工場は無事でした。

まだ地震に騒然とした町の中を通って家に帰ると、ワタシの部屋の中は崩れ落ちた本とレコードやガラクタが散乱していました。もし、これが夜寝ているところだったらオレは間違いなく下敷きになったろうな、と思いながらも、また元あったところに本とレコードを突っ込みはじめるのでした。]]>
        
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    <title>#29 雪の降る町へ</title>
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    <published>2010-02-06T08:46:16Z</published>
    <updated>2010-02-06T08:49:20Z</updated>
    
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        <![CDATA[<img alt="29.JPG" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/29.JPG" width="240" height="400" class="photo-l" />とっくに旧聞ですが、正月に帰省して来ました。今年の正月は寒波襲来で、帰る途中ひさしぶりに地吹雪を見ました。その横風にあおられたのか、側溝にはまってJAF待ちと思しきクルマもいる。あまり雪のない仙台から田舎に帰ると、吉岡と色麻というところで景色と気温は二回変わります。雪がドッと増え、気温も2度ずつ下がる。

嫁さんの運転するクルマで、仙台から北へ小1時間。この時間はビミョーです。ワタシは、基本的に「北(もっと寒いところ)へ行く」というのが好きじゃない。それに帰省しても田舎で待っているのは、まさに「滅びていくふるさと」そのもので、新しく出来た大型スーパーでさえ、すでに古びてしまっているような。

それに、年末に田舎の兄貴から連絡があり、84歳になるおふくろがだいぶボケてきたそうで、MRIで検査してもらったら小さい脳梗塞がいっぱい出来ていたとか。84歳なのでもうなにがあっても当然です。「余命1ヶ月の老婆」だとか言われないだけでもマシとは思っていても、やはりそのおふくろがどんな状態なのか見るまでは不安でした。

田舎の築30年のアルミサッシの戸を開けると、おふくろはワタシが誰なのかまったくわからなくなっていたということはなく、いつもどおり大儀そうに居間に寝っ転がっていました。3分ほどかけて体を起こすと「おぉ」とか言う。義姉に聞いたら、その日が正月だというのを理解していなかったそうで、確かにボケてはいます。しかし、年末年始の休暇中のワタシだって、その日が何曜日なのか思い出せなかったので。

それよりも感じたのは肉体的な衰えです。ワタシと嫁と娘のお茶をいれるだけでも15分ぐらいかかりそうで、2メートルの横移動にも7分かかる。ご飯食べるのなんてひと仕事というかたいへんな苦行で、自分の食器を台所の流しに持って行くのに24分ぐらいかかってました。そのあとは疲れ果てて横になりながら、ぜぇぜぇ言ってます。生きることは戦いです。自分との戦いです。まったくです。

夜になっても雪は止む気配がない。帰ってしまった嫁さんと娘が、明日の朝また迎えに来てくれるかどうか危ぶみながら、30分ごとに同じ愚痴ばかり言うおふくろを尻目に早寝しました。雪が降る夜の田舎はほんとうに静かです。子どもの頃、同じような夜に一人で外に出てみたことがあります。出てみると外には誰もいませんでした。ただ街灯が向こうまでつづいて、雪が静かに降っているだけでした。

朝の寒さはまた格別です。寝具はふとんといわず、毛布といわず、寝巻きやタオルケット、コタツふとんからバスタオルまでかけて寝ているので、まるで寒さから身を守るための防具のようにずっしりと重い。その防具のような寝具に挟まれたままぼんやりとしていると、鼻までずりあげた古ぼけたタオルケットが目に入る。そのタオルケットに視線を合わせると、あらら、なんだか丘のように見えます。そうそう、子どもの頃は日曜の朝とか、ふとんの中でこんなことをやっていた。タオルケットの丘はうねりながら向こうまでつづいていて、視点だけになったワタシはその丘を上り下りしながら向こうまで歩いて行きます。その向こうに見えるのは、障子に描かれた巨大な水墨画。しばしミクロの世界の住人になって、タオルケットの丘をうろうろふらふらと行ったり来たりしてみました。うふふ、あはは。

雪はうんざりするほど積もり、止む気配もない。これでは嫁さんも迎えに来れないので新幹線で帰ることにし、なにか言い足りなさそうにしているおふくろを残したまま、兄貴に最寄りの古川駅まで送ってもらう。その途中でまた地吹雪を見かけました。これがまた1メートル先さえ見えなくなるような見事な地吹雪で、案の定、また路肩に乗り捨てたクルマがある、しかも2台。お陰で片側車線は塞がれてしまって完全に渋滞に。このクルマの持ち主はいったいどこに行ったんだってぇの。

なんとか古川駅にたどり着くと、ビルの4階あたりに相当するホームにまで雪が吹き上げていました。これから東京方面に帰るんだろうとおぼしきおねえちゃんが、雪の積もったホームでキャリー付きのバッグをズリズリと引きずって行く。まるでバッグで雪かきしてるようです。そのおねえちゃんの顔を見たら、呪ってる呪ってる自分のふるさとを呪ってる、なんでこんなにメチャ寒いのよぉ、てかぁ、雪ウザイしぃ、みたいな。わかるわかる、キミの気持ちは。でも、キミは見たことがないか。雪の降る夜にたった一人で外に出てみたことはないかい。

新幹線に乗って仙台まで15分。窓から見えていたうんざりするぐらいの雪は、仙台に近づくほどにあっけなく消えて行ってしまうのでした。
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    <title>#28 馬を喰う</title>
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    <published>2009-12-27T02:53:06Z</published>
    <updated>2009-12-27T02:54:47Z</updated>
    
    <summary>馬を喰って来ました。と言うと、まるまる一頭食べたみたいですが。店の中にパドックの...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="28.JPG" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/28.JPG" width="240" height="400" class="photo-r" />馬を喰って来ました。と言うと、まるまる一頭食べたみたいですが。店の中にパドックのようなものがあって、次々に現れる馬を見ながら、何番の馬を食べるか選ぶとか、食べたい部位にチョークで丸をつけるとか、そういう豪快なことはなく、あっさりとしたさくら鍋でした。おいしいです。牛とか豚とちがって、あまり脂肪もないのでヘルシーです。馬の側から言えば「ひとを食っておいてヘルシーってことはないだろう」ってなもんですが、ワタシだったら、腿のところを食われても「いがらしさんの腿肉ってすんごいヘルシーですね」と言われれば、ちょっとはうれしいってもんでしょう。

最近、嫁さんが馬好きで、きっかけは乗馬に通い出してからです。「今日は足を踏まれた」とか「今日は肩を噛まれた」とか「今日は頭から馬糞を浴びた」とか、いちいちうれしそうに報告してくる。その挙句「馬ってかわいいよ」とか「種を超えた恋だよ」とかエトセトラエトセトラ。なので、馬を食べることになってからもしばらく黙っていたのですが、特に嫌味を言われることもなく杞憂でした。もっとも「おいしかったから」とか言って、今度誘ってみるつもりはありませんが。

馬というと、子どもの頃は近所に馬喰(ばくろう)がいました。カポカポとふつうに人が跨って通り、馬糞もふつうに路上にこんもり落ちていた。あの馬糞、誰が片づけてたのかなぁ。

その馬喰の家に同級生がいたのですが、彼の家へ行くには、馬や牛のいる畜舎を通って裏に抜けなければならない。子どもにとって、両脇からヌッと頭を出しているいくつもの馬と牛の間を通るのは勇気がいります。畜舎の中は薄暗く、向こうの出口からの光で逆光になり、馬の首と牛の首がそれぞれシルエットになっていて、吐く息も大きく真っ白でした。これはちょっと通れまへん。実はその馬喰は今もやっています。ワタシの同級生があとを継ぎました。

町外れの工場に勤めていたワタシは、そのうち中途半端な労働争議の首謀者にされたこともあって、結局辞めてしまいます。次に勤めたのが町の印刷屋でした。そこは一応、チラシだのポスターだのもやっていたので、ただの工員よりは自分に向いていると思ったんでしょうね。

そこに勤めた初日に一番最初に話しかけてくれたのがOさんでした。Oさんはワタシよりひとつ年上、6人兄弟の末っ子で、ニコニコというか、温厚というか、不機嫌な時でもどこか口元が笑っているような人です。他に知り合いもいなかったので、よく遊びに行き、麻雀を覚えたのもOさんの家で、以来、土曜の夜はサタデーナイト・マージャンが我々の定番でした。

Oさんの家には白っぽい雑種の犬が一匹いた。あの頃の犬はやたら吠えるか、暗い犬小屋の奥で死んだように丸くなったいるかのどちらかで、その犬も誰かに構ってもらっている様子もなく、そこかしこに落ちている糞の中で、ただ繋がれ寒々と汚れていました。

それに比べたら、今のペットの身分は夢のようなものでしょう。人間の目から見てもうまそうなものを食べ、服を着せてもらい、散歩にも連れて行ってもらえる。ウチにもネコがいますが、ワタシの目から見ても、食っては寝、遊んでは寝、時々腹が立つぐらいです。

Oさんのところには、みかん箱に金網を張っただけのような鶏小屋もあり、そこで鶏も飼われていた。ある日、麻雀をしに行った時に見たら鶏がいない。Oさんに聞いたところ「タマゴ産まねぐなったのや」とのこと。それで鶏はどうしたのか聞いたところ、自分の手牌に目を落としながら、つまらなさそうに「食ったのや」と言う。そう言うOさんが、なんだかかっこよかったのを覚えています。
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    <title>#27 とうちゃんの思い出</title>
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    <published>2009-12-07T06:49:08Z</published>
    <updated>2009-12-07T06:53:42Z</updated>
    
    <summary>今回はオヤジの思い出を。息子にとって、父親というのは基本的にビミョーなものなので...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="27.JPG" src="http://www.bonobono.jp/bononet/mmk/img/27.JPG" width="240" height="400" class="photo-l" />今回はオヤジの思い出を。息子にとって、父親というのは基本的にビミョーなものなので、思い出などは少ないのがふつうです。ワタシも少ないです。なにしろウチのオヤジは家にいるのをイヤがった。床屋が終わって晩飯を食うと、自転車に乗ってどこかへ行ってしまう。酒も飲めないし、ギャンブルもやらないので、たぶん友だちの家に上がりこんでダベっていたのでしょう。そしてみんな寝静まった頃に帰って来ては、翌朝一番最後まで寝ている。ほっとくとお昼過ぎても寝ているので、起こすのは末っ子のワタシの役目でした。そんな役目はイヤでしたが、オヤジが一番なついていたのはワタシだったのです。ワタシがなついていたのではなくて、オヤジがワタシになついていたので、念のため。

とにかく毎日仏頂面で不機嫌そうなオヤジでした。床屋のくせにヒゲも剃らず、頭もボーボー。ほんとは次男なので、床屋なんかなりたくなかったらしく、兵隊から帰って来た若い頃は、楽団に入ったり、サーカスについて行ったりして、じいちゃんから逃げまわっていたとか。

長男という人がいわゆる早熟の天才で、親族一同のレジェンドでした。しかし、天才にありがちな不幸な運命だったらしく、若くして交通事故に遭った後、狂死しました。狂死は言い過ぎか。まぁ、石炭とか置いてある納屋に幽閉されてました。あははは、マジです。２歳か３歳ぐらいのワタシをおぶったおふくろが納屋にご飯を持って行くと、そのおじさんの手が戸の下の隙間からニュッと出て来る。これがワタシの一番古い記憶です。もしかすると夢で見た情景かもしれませんが、後年、おふくろにその話をしたら驚いていました。

まったく横溝正史の世界というか、おじさんはスケキヨかというか、一家に一件、必ず不幸な歴史が隠されているのが家というものなのですだす。

あと、オヤジがばあちゃんと話しをしているのを見たことがなかった。父と祖母なんてどこでもそんなものだろうと思っていたのですが、ウチのばあちゃんは継母で、しかも芸者あがりだったそうで、オヤジはばあちゃんが死ぬまで目さえ合わそうとしなかったです。たぶんばあちゃんがいるから家にいたくなかったんでしょうね、オヤジは。

ワタシが東京から帰って来て、田舎の工場に勤め始めた頃、東京で作って来た20万円ぐらいの借金をどうするかという話になり、アパートで同居していた友だちの実家をオヤジといっしょに訪ねることにしました。借金と言ってもほとんどが家賃関係だったので、友だちの家と折半するつもりだったんでしょう。しかし、手紙や電話で連絡しても、その友だちの親は、悪いのはワタシで、自分の息子はだまされただけだと思っているらしく、ラチがあかないので直談判に行くことになったわけです。借金絡みの気の重い旅でしたが、オヤジと二人だけでどこかに行くのははじめてでした。そして、オヤジは床屋以外のことをやるのは大好きだったのです。

友だちの実家も宮城県の田尻というところで、その日は前日からの雪のため、バスと汽車を乗り継いで片道4時間ぐらいかかり、着いたら田尻はさらに雪の中、駅前では膝ぐらいだった雪が、林のようなところを抜け、友だちの家の近くになると腰ぐらいになっていました。

なんとか友だちの家を探しあてると、仏頂面の親が渋々と家に入れてくれ、オヤジはとりあえず紳士的に話していたんですが、向こうは、カネなんか出せないの一点張りで身も蓋もない。オヤジには「オレ話すがら、あんだは黙ってろよ」と言われていましたが、そのうち頭に来たワタシが、「Sくんに会わせてくれ」と言うと、会わせるわけには行かない、今ここにはいないと大きな声を出したので、たぶんSは家のどこかに隠れていたんだと思います。

その後は、ワタシもSの両親も黙りこくり、オヤジだけがヘラヘラダラダラと何事か話していましたが、突然「んでは」と言って腰を上げると、ワタシをうながして帰りはじめ、友だちの家を出たあたりで、「あの親はだみだ」とポツリと言う。

帰りは吹雪きで、ワタシはさらに打ちのめされ、真っ白い息を吐き吐き、ハナを垂らしながら歩いていると、前を歩いていたオヤジがやおらニコニコとこちらを振り返り、「寒いが?」「あんだ、こういう天気でも歩がねど強ぐなんねど」と言いました。ワタシがはじめて聞いた父親らしい言葉でしたが、その後はまた二人とも無言で駅まで歩きました。オヤジはワタシのことを「おまえ」とは言わずに「あんた」と呼ぶ人でした。

25年前にオヤジが死んだあと、ワタシは形見分けとして時計とコートをもらった。今はだいぶヨレましたが、わざわざ仕立てたもので、貧乏な床屋には立派過ぎるほどのものです。ワタシがなぜそのコートをもらったかと言うと、それはオヤジが田尻に行った時に着ていたコートだったのを憶えていたからでした。
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