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#24 老いの中ほど

24.jpgえ~、まず枕から。ギックリ腰をやりましてな。ギックリ腰ってなぁ、痛いもんです。それでも寝ちゃぁいられないので働いてました。なんとか働いてるぐらいだから大したことはねえんでしょうが、一応仕事場の近くの医者に行きましてな。行ったらこれがヤブで、整形外科で待合室は年寄りばっかりだってえのに、冷房の風をガンガン吹きかけて来ます。気がきかねえ。気がきかねえ医者はヤブに決まってるので、覚悟して診察室に行ったら、やっぱりヤブでした。ここで病院の名前書いてもいいけど、それは止めるん。マジメに仕事しろよ、バカ。

いや、病気すると怒りっぽくなって困ります。40の声を聞いたあたりで四十肩になりましてな、これが左です。痛くて夜中に目が覚めました。少しずつ落ち着いてきたと思ったら今度は右肩に移った。これが50歳の頃なので五十肩です。順調です。そのうち股関節が痛むようになった。寒い日の夜になるってえと痛くて歩けなくなる。仕事場を出たところの交差点のあたりでよく痛くなります。冬の夜、横断歩道のど真ん中で、こうこうとヘッドライトに照らし出されながら、股関節を入れるための妙なストレッチしてるオヤジを見かけたら、そりゃアタシですよ。よろしく伝えておくんなさい。

とにかく老いの中ほどです。はじめてのことばかり起きるので少し楽しいっちゃぁ楽しい。もう十分走ったり転んだりしたし、年とるといいこともありますよ。どうでもよさそうなことはどうでもよくなります。

18歳の頃、大田区大森で住み込みの牛乳配達してました。環七との交差点のところに、3階建てのビルがあって、上は50いくつの妻帯者から一番下のワタシまで総勢10人ぐらいが働いていました。しゃべる言葉もバラバラで、関西弁から東北訛り、見かけは日本人だけど怪しい日本語の人もいました。なんというか、みんなそれぞれどこかで仲間はずれにされたみたいな人たちです。しかし、江古田の引きこもり居候生活から逃げてきたワタシにとっては、とても健康的かつ生産的な生活でした。きっと自分史上もっとも体力があった頃でしょう。自転車で配達してたんですが、大森から蒲田のあたりまで2時間走り周っても、息ひとつ切れませんでした。今では夢のようです。

その牛乳屋にKさんという人がいて、一日中冷凍室の中で、みんなの配達用の牛乳を用意する仕事をやっていましたが、年の頃は40前後、昔は演劇青年で、二木てるみと共演したことがあったとか。毎年お盆の頃になると、Kさんは会社の屋上の物干し場で、キンキラの着物を着て、化粧をしてワンマン歌謡ショーをやる。その自作のポスターが作業場や食堂に貼られ、そこにも誇らしく「あの二木てるみと共演した」とか書いてあった。最近の人は二木てるみなんて知らないでしょうね、う~ん、いいです、知らなくて。あ~、「検索」とかはしないでくださいね。

Kさんは、ほとんどしゃべらない人で、みんなのいじられ役でしたが、いつもニコニコしていた。そこの社長に言わせると「あいつはバカなんだ」そうで、例のクルクルする手つきまでして教えてくれる。ワタシはその社長が嫌いじゃなかったんですが、それで嫌いになりました。

午前中は健康的で生産的な暮らし。午後からは毎日のように新宿に出かけては、通いフーテン日曜フーテンしてました。最近の人、フーテン知ってますかね。いいですいいです、知らなくて。「検索」とかしないでください。

テレビもラジオも新聞もない生活でしたが、当時、作新学院の江川卓投手が大騒ぎされていたのは、なんとなく知っていた。昼飯を買いに行った時、電気屋の前を通ったら、テレビでその江川が甲子園で投げていて、はじめて見る江川は、なんだかいやな感じがしました。ワタシも高校に行っていれば、江川と同じ高校3年、つまり同じ年です。片や牛乳配達で、片やすでに世間から「怪物」とか言われて騒がれている。当然、ワタシの胸にはドス黒い嫉妬が渦巻くわけです。しかし、嫉妬は時になにかの力になる。ワタシは東京に来てからはじめて漫画を描き始めました。チビチビジリジリとなんとか完成させて「ガロ」に送ったら、え~、見事に落選したです。今回の写メは当時描いたその漫画っス。後年、青林堂の人が倉庫で見つけて送り返してくれました。あははは。

で、老いの中ほどですが、どうでもよさそうなことは、ほんとにどうでもよくなります。「どうでもよさそうなこと」というのはなにかというと、人の目というか、世間でどう見られているとか、そんなことです。

ま、大したことじゃないかもしれないけど、ワタシ最近思うんですよ、自由になるっていうのは、どうでもよくなることじゃないかって。まぁ、今でも江川は嫌いなんですけどね。ごめんよ、江川。