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#23 トカトントン

23.jpg最近なんだか太宰の本ばかり見かけるなぁ、と思っていたら、今年は太宰治生誕100年だそうで、おめでとうございます。いや、こういうのは「おめでとう」とは言わないのか。誰に言えばいいのか、わからないし。

実はワタシも太宰ファンでしたので、ご祝儀みたいな気持ちで2冊買いました。しかし「太宰の作品ではなにが好きか」と聞かれると、いつも返答に困ります。「晩年」に入っている小説はだいたい好きですし、他にも好きなものはある。でも「斜陽」とか「人間失格」とかはそんなに好きじゃないです。「走れメロス」とかも。ひとまず「トカトントン」が一番好きということにしています。

結局、太宰ファンが一番好きなのは、「太宰治」という小説家じゃないでしょうか。かくいうワタシがそうだったのですが。一時期、山岸外史という人の「人間太宰治」という文庫ばかり読んでいました。というか、それまで勤めていた会社とアパートから逃げ出してしまったワタシは、それ一冊しか本を持っていなかったのです。その一冊だけをポケットに入れて、練馬区江古田の友だちの家に居候していました。

居候とは言っても、その家の家族に挨拶したわけでも、許可をもらったわけでもなくて、ただ二階の友だちの部屋に居ついてしまっただけで、家族全員が出払った頃になると、ギシギシと階段を降りては、冷蔵庫とか勝手に開けてみたりしてました。開けてはみたけれど、人様の家の冷蔵庫というのは見知らぬ物ばかりでヨソヨソしくて、なかなか盗み食いも出来ないもんですね。しかし、リンゴを食べた記憶はあります。結局、盗み食いしてたのかな、オレ。

時々、友だちのおかあさんとか賄いのおばさんのような人に見つかると、「どうも」などとペコリと頭を下げては、コソコソとパチンコしに出かけて行く。そして、いくらかのオカネを稼いだり損したりして、みんな寝静まった夜中に帰って来る毎日でしたが、憶えているのはピアノの音です。たぶんその友だちの妹さんが弾いてたんだと思うのですが、まだワタシが寝ている午前中によく聞こえていた。そのピアノで起こされたワタシは、起きぬけのタバコをくわえたままぼんやりと聞いている。なんという曲なのかさえわからなかったのですが、ピアノの音というのはやさしいものだなと思いました。今でもピアノの音を聞くと「午前中」という感じになります。平和でのどかな午前中。子どもの頃、腹が痛くなって小学校を早退けして帰って来ると、町の中がこんな感じでした。平和でのどかで、どこかよそよそしい午前中。

ワタシは会社をやめてなにをしたかったのか。漫画家になるつもりはあったし、居候させてくれた友だちも漫画家志望でした。しかし、お互い漫画なんか描きもしないで、酒を飲んでは漫画と太宰の話ばかりしていました。なぜみんな太宰に惹かれるのかというと、太宰は永遠にフィットしない人だったからじゃないでしょうか。いや、フィットしそうになると逃げてしまう人というか。フィットしない人はいつの世にもいたし、最近また増えてるのかもしれない。ワタシもそのうちの一人だったのでしょう。

太宰の「トカトントン」は、まさにそのフィットしなささを書いた小説です。主人公は何事か成就したり、夢中になったり、感動したりすると、そのうちどこからともなくトカトントンという音が聞こえて来て、なんだかシラけてしまったり、バカバカしくなったり、投げ出したりしてしまう。これは虚無とかニヒリズムという性質のものかもしれませんが、ワタシの「トカトントン」はちょっとちがう。夢想癖というか、放浪癖というか、「ここじゃないな、オレがいるところは」と思ってしまうのです。思ってしまうと、もうそこにはいられない。もしかすると「トカトントン」じゃなくて、ただの飽きっぽい「トントカトン」か、「トントントカ」かもしれませんけど。

太宰治生誕100年記念で買った2冊の本はまだ読んでません。もしかするとほんとにただのご祝儀買いで、このまま読まないままかも。

写真は、NHKのテレビの取材の時に、寄ってみた江古田です。居候させてもらっていた友だちの消息を辿ったあと、この江古田銀座を出たところで、ワタシは彼そっくりの人間とすれ違います。どこか気後れして声をかけそびれたため、仙台に戻ってから「あれは絶対アイツだった」と、激しく後悔したのですが、後日、その友だちと20年ぶりに再会した時に確認したら、もう何年も江古田には行っていないとのことでした。