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#22 忘れられない人

22_.jpg「今年は漫画家30周年だ」とか言ってたら、もう半年たってしまいました。今年は漫画以外のことをやろうとか、めずらしくプランを立ててたんですが、テレビに出たり、韓国に連れて行ってもらったり、トークショーとか、サイン会とか、人様ののっかり仕事ばっかりで、まだなにも実現してません。自分でやったことと言うと口内炎を2回やりました。「漫画家生活30周年記念口内炎」です。

それでこのままではなんなので、記念のTシャツを作って、30年の間お世話になった人たちに一方的に送りつけて、30周年記念イベントとしてしまう、というプランBを実行することにしました。プランはFまであります。プランFは漫画家をやめてハワイに移住してしまうというものなので、それはまだ避けたいです。それで最近、Tシャツを送るべき人のことを「正」の字を書き書き数えていたら、記憶の底の方にいた「忘れられない人」まで思い出したりして、なんだかそわそわしてます。どこかに行くためにクルマに乗り込んだあと、なにか忘れ物をしたような気がする、あんな感じです。

東京の印刷会社に勤めていた頃、会社を休んでひとりで海水浴に行くことにしました。特になにか猛々しい衝動があったわけではなくて、その日はとてもいい天気だったので、「今日会社を休んで海水浴に行ったら気持ちよかろうな」と思ったんでしょう。一応、会社に電話してから休みました。「ひとりで海水浴に行く」とは言いませんでしたが。海というと湘南しか思いつかなかったので、そっちに行くことにしました。

行ってみたら平日なのに人だらけ。一瞬、みんな会社休んで来たのかと思いましたが、学校はもう夏休みに入っていたんですね。一人の海水浴にはありがちですが、ひと泳ぎしてしまうと、もうやることがない。あとは砂浜でタバコ吸いながら、波が砕けるのや、白っぽく晴れ上がった空を見ていました。

そのうち、ちょっと離れた波打ち際にいる女の子とその妹が目に入った。女の子はまだ少女と言ってもいいぐらいの年頃で、中学1年か2年か。紺のスクール水着のようなものを着ていました。妹の方はまだ幼稚園ぐらい。泳げないのか、浮き輪をしたままお姉ちゃんに遊んでもらっているという感じでした。旅先の女の子はきれいに見えるもので、ワタシにはそのお姉ちゃんの方が、両親に虐げられたまま、けなげに妹の面倒を見ている子のように映ってしまう。きっとその子を見つめるワタシの目は涙目になっていたでしょう。美人の中にふつうが入った顔よりは、ふつうの中に美人が入った顔が好きです。ワタシにはその少女の顔がそう見えた。距離にして20メートルは離れていたと思うので、ただの思い込みかもしれませんけど。

いったいなんだってそんなに恋焦がれたのか知りませんが、とにかくその子を一日中見ていました。夕方になってみんな帰り始めても、その子が帰るまでは帰れないと思った。

しばらくすると、その子と妹は誰かが迎えに来るわけでもなく、ただバスタオルを巻いただけで、二人で手を繋いで帰って行くのでした。地元の子だったのかなぁ。ワタシは、当たり前だけど、ただ呆然とそれを見送るしかなかったです。しかし、そういう時に世界は突然意味を持ちます。みなさんもわかるでしょう。その時の世界の輝いていたことと言ったら。たははははは。

翌日、ロクに泳ぎもせずに、砂浜にばっかりいたワタシの体は、真っ赤に腫れ上がっていました。正確には帰りの電車の中で、もうヒリヒリしていたんですが。結局、身動きひとつ出来ないので、次の日も会社を休んでしまう。そして熱をもった体のまま、昨日の女の子のことばかり考えていました。それで実は次の日もまた休んで、同じ海に行きました。またその子に会える確率は天文学的に低いわけで、奇跡的に会えたとしても、ワタシはまたただ黙って見てるだけだったと思いますが。もちろん、その女の子はどこにもいませんでした。

そのことが決起になったのか、ワタシは次の月に会社を辞めてしまいます。社長に「辞めるな」と言われたので、当時住んでいた寮のようなアパートから、布団以外のものを入れた布団袋を担いで逃げ出しました。結局、なんですね、一瞬輝いていたあの世界に比べたら、現実のみすぼらしさにガマン出来なくなったのでしょう。ワタシはこの後、どんどんみすぼらしい世界に行ってしまうのですが。

この時の体験を漫画に出したことがあります。「男には一生忘れられない「幻の女」がいる」という話として。確かに折に触れてはあの女の子のことを思い出すものです。

その子には送れませんが、他のワタシの忘れられない人々にこのTシャツをお送りしたいと思います。後ろにも秘密のプリントがしてあります。