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#19 ワタシはそこに登って歌をうたった2

19.jpgワタシの場合、日曜日に用事が入るというのはめずらしいです。ましてや友だちといっしょにどこかに出かけるなどということは、冠婚葬祭以外めったにない。でもちょっと行って来ました、もう一人の友だちに会いに白石市まで。

白石というと温麺です。別に温麺食べに行ったわけじゃないですが。でも食べたかったです、温麺。吉永小百合も食べてるし。いや、そんなことより友だち二人を紹介しましょう。

ワタシは高校を中退後、仙台の身体障害者職業訓練校というところに行きます。そこでデザインというか、まだ「意匠図案科」という名称のクラスに入りました。二人ともその職業訓練校の同級生です。片方は寮で同室、もう片方は同じ意匠図案科でした。当時16歳だった3人はもう54歳になりましたが、もちろん38年ぶりに会うわけではない。片方は1年に一度会う感じ、こちらがいっしょに行った方。もう片方は10年に一度会う感じ、こちらは訪ねて行った方です。

ワタシに青春と言える時期があったとすれば、この訓練校にいた時だったと思います。まさに恋とケンカと歌とバラの日々でした。あははは。親元を離れて暮らすのははじめてでしたしね。なんというか、屈折し鬱屈していた高校生活から、一転して新しい人生がはじまったという感じです。それがワタシの脳天気な心境でしたが、交通事故や不慮の事故で、身体障害者になったばかりの人も入校してくる。そういう人はもう成人してます。20歳とか30歳とか。もちろん50歳とか、すでに孫がいる人もいました。そうすると15、6歳で入ったワタシと、突然そういう境遇になってしまった人とは、相当な温度差がある。しかし、あえて言うなら、家族から離れて単身寮生活している人も、なんだか多少なりと開放感のようなものはあったと思います。なによりも、そこにいる人は、みんななにかしら障害を抱えているので、お互いあたりまえのように助け合うし、誰しもそれまでいた社会よりは孤立感を感じなかったはずです。そういう意味でもワタシにはユートピアのように思えた。そう考えると、難聴だったということは、ワタシが荒んでしまった原因のひとつだったかもしれませんね。今わかりましたよ。のん気だな、オレも。

その訓練校の入校式の日に、はじめてほんもののチューリップを見て驚きました。6人相部屋の寮では、自分のスペースは2畳ぐらいしかありませんでしたが、自分の部屋も自分の机も自分の棚もなかったことを考えれば、たった2畳のプライバシーでもワタシは満足でした。その訓練校にいると、給付金という月給のようなものがもらえるのですが、はじめての給付金でラジオとギターを買いました。16歳ですからね、音楽はまるで魔法のようでした。ワタシは魔法にかけられ、寝ても覚めてもラジオとギターを放しませんでした。そして映画!! 映画はさらに恐るべき魔術でした。ワタシはどんどん現実というものがわからない子になってしまうのでした。あはははは。

その頃は教室にもラジオを持って行きました。授業の合間の休み時間には、白石にいっしょに行った友だちと、教室の脇にあった木に登ってはラジオばかり聴いていた。そればかりか、夕暮れに一人になった時などは、その木に登って、ギターを弾きながら歌もうたいました。もう完全に現実がわからない子どもになっていたというわけです。あははははは。

何年ぶりかで、今は名前も変わってしまったその訓練校に、写メを撮りに行ってみました。いつもは前を通り、遠目に見ているぐらいなものでしたが、はじめて裏庭に回ってみたら、その木は目の前にありました。

そして白石です。白石は100年に一度とかいう不況の中、冬枯れしたままの雑草のようにそこにありました。訪ねた先のその友だちも、すでに両親を亡くし、お互い結婚しないままの兄と妹の二人暮らし。ワタシも彼も耳が悪い者同士なので、話しているというよりは、怒鳴りあっているという感じになり、いつもお互いなにか言いたいこと、聞きたいことを聞かないまま別れることになる。山が好きなヤツなので、休みになるとほとんど山にいるらしく、3月になったらまた山に登ると言っていました。