#11 ノー・ノー・カントリー
昔、ワタシの実家の斜め向かいは肉屋で、その肉屋は近所の裏の方に屠殺場を持っていました。小学生の頃、その屠殺風景を何度か見たことがあります。
白いビニールの前掛けをした肉屋のじいちゃんが、黒バットに五寸釘状のぶっといボルトを埋め込んだものを、鋭いダウンスイングで振り回しては、ボッコンボッコンと牛や豚の眉間をぶち抜いていました。水道の水のように噴出する返り血を浴びて、白い前掛けが、あっと言う間にピンク色に染まってしまう有様を、ワタシは決して親には話せない出来事として、まだあまりシワのない脳裏にガッツリと刻みこんだのですのす。
この前、「いのちの食べかた」というドキュメンタリー映画を観ました。これは我々の食べる食品がどうやって、処理加工されているかを描いた映画なので、今時の牛豚の屠殺のやり方もわかるだろう、まさかおっさんがまだ五寸釘野球バットでボッコンボッコンやってるわきゃないし、と思いつつ観に行きましたよ。物好きだなぁー、オレって。
なんだか静かな工場の中、巨大な牛がオートメーションのバスケットのようなものに乗せられて、どん詰まりまで運ばれて来る。そして、そのどん詰まりにいたおにいちゃんに、太いケーブルの先が真鍮になったホース状のものを眉間に近づけられただけで、その巨体が一瞬にして崩れ落ちるのでした。なんだ、なんだ?おにいちゃんはいったいどんな手を使ったんだ?血が一滴も見えなかったではないか。解説も字幕もない静かな映画なので、これがさっぱりわからない。なんだか釈然としないまま帰って来ましたが、その後、アカデミー賞を獲った「ノー・カントリー」を観たらその謎が解けたのです。
「ノー・カントリー」には、ハビエル・バルデム演じるところのシガーという殺し屋が登場します。この殺し屋の持っている武器が酸素ボンベの圧縮エアガンという異様なもので、
映画の中で「こりゃ牛を殺す時に使うヤツだ」とかなんとか解説が出て来たので、ワタシの謎も一気に解けたというわけです。ははー、これかぁ。シガーが相手を殺す時に、確かにノズル状のものを眉間に近づけます。そして、なにをされるのかさっぱりわからない相手は、圧縮空気で眉間にポッカリと穴を開けられて、一瞬のうちに崩れ落ちるのでした。
このシガーという殺し屋、いわゆる「死の象徴」というか、「運命の象徴」というか、とにかくアレです、メタファーってヤツっス。だから最後も死なないし、どこに行ったのかもわかりません。「ノー・カントリー」の原作のタイトルは、日本語にすると「年寄りの生きるクニはない」みたいな意味とか。
ワタシもそろそろ「前期高齢者」なので、自分の死に方を夢想する時があります。もしかすると毎日毎日風呂場でパンツ一丁でカメの水槽の水を取り替えたりしている時なんかに、ふいに背後のドアが開いて、ハビエル・バルデムが無言で立っているかもしれない。ワタシは事の次第を理解すると、ゆっくり立ち上がり、ハビエルの前に進み出るのです。そしてハビエルが、ゆっくりエアガンのノズルをワタシの眉間に近づけると、ワタシは一瞬で崩れ落ち、その衝撃でカメがひっくり返り、眉間に穴の開いたワタシのそばで、バタバタと手足を動かしているのでした。このクニにはもうクールなものなんかないな、と思ってる前期高齢者にとっては、安楽死同然の死に様です。
後日談があります。肉屋のじいちゃんは、しばらくしてから屠殺中に豚に急所を噛まれて、そのまま寝込み、亡くなってしまいました。じいちゃんの股間に噛みついたそのリベンジ豚をサバいたら、胃から睾丸が出てきたという伝説付きです。
写真はその屠殺場跡。今は消防署になっていて、背後に見える建物がそうです。よく晴れた日、若い署員たちが笑いながら訓練してました。
