#07 昔はよかった
最近は、団塊ブームというか、映画や小説でも昭和の時代の話が売れ線です。すると、「昔はそんなによかったのか」とか、「こんないい人ばっかりじゃなかった」とか、「不幸もいろいろあった」とか言い出す人もいます。そういう批評性というものが、もうほとんど無効な時代なので、まぁ、「昔はよかった」ということにしておいても別にいいんじゃないでしょうか。なにもみんなで帰ろうとか言うわけじゃないし。だめですか。「昔なんか全然よくなかった」という人は、それはそれで不幸だと思いますが。
なにしろ昔はみんな健在でした。父や母や近所の人や友人や。人は「これが世の中なんだなぁ」と、とても鮮烈に記憶する時があります。たぶん10歳前後でしょうが、その後は、自分が鮮烈に記憶した世の中と、現実の世の中とのズレに葛藤する人生が待っているだけです。そして30年も40年も葛藤している間に、みんないなくなります。ワタシの場合、父1、祖母2、親類3、友だち5、近所の人7、判明しているだけでも、これくらいの人がいなくなりました。他にも家、店、建物など、なくなったものは数知れず。あとはみんな年寄りになります。「昔はよかった」ぐらい言ってもバチはあたらないんじゃないスか。こんなワタシを後ろ向きだと批判する人もいますが、ワタシは後ろ向きのまま進んで行くタイプなので。
「これが世の中なんだなぁ」と思っていた頃、ばあちゃんが死にました。ワタシは自他共に認めるばあちゃん子でしたが、なんだかリアリティがないというよりも、あまりにリアル過ぎて、その時は泣けませんでした。しかしその後ワタシは気がついた。ばあちゃんが死んだというのに、無くなったものがなにもない。無くなったのはばあちゃんだけです。ワタシはなんだか悲しかった。ばあちゃんといっしょに無くなるものがあると思ってたんですが、そんなことはない。無くなったのはばあちゃんだけです。そう思ったらちょっと泣けました。
死んだものといっしょに無くなるものはないのでしょうか。我々が見つけられないだけじゃないのでしょうか。それについては話すと長くなるので、今日はこの辺で。
ワタシの携帯には、誰かが亡くなった時に撮った写メがいくつかあります。今回の写メも、友だちの一人が亡くなったという知らせを受けた日に、仕事場の窓から撮ったものです。まったく「当たり前だろ」という感じで、いつもどおりの景色が写っていました。友だちといっしょに無くなったものは、ほんとにないのでしょうか。

ワタシがたぶん中学を卒業した直後の春休みかなんかだと思います。2番目の兄貴はもう高校生でしたが、二人してこの川の工事のバイトをやりました。今だと年齢的にそんなバイトはやれないかもしれませんが、当時はコネさえあればなんでもやれたのです。確か兄貴の友達もいっしょで、その友達のコネだったと思います。