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#34 夢を追う

34.jpgえ~、今回のタイトルは「夢を追う」です。なぜそんなタイトルにしたかは秘密です。しかし、ワタシも漫画家になりたいとか思いながら夢を追って来たわけなので。

ひとまず24歳の時にデビューしましたが、その出版社はすぐ潰れてしまい、そのあと漫画の方はベタ凪状態になります。しかし、デビューは果たしたので当時勤めていた印刷屋を辞める決心は固まっていました。そんなある日、昼飯を食いにウチに戻ったら、今も36年物の現役エロ漫画編集者であるTさんから電話があったことを聞き、ワタシはなぜか外に出て公衆電話からかけ直した。なんとなく家族に聞かれたくなかったんでしょうね。これで会社を辞められると思ったので。

漫画の注文があったとは言っても、エロ漫画雑誌はだいたい月刊です。しかも4コマ漫画は4ページが基本。原稿料が1ページ3500円ぐらいだったので、会社を辞めたあと、すぐご飯食べて行けるものではない。しかし、当時はエロ劇画ブームというものがまだ続いていたので、雑誌はいくらでもありました。そのTさんの出版社は、下請けのプロダクションも含めると何誌ものエロ系雑誌を出していたし、エロ漫画の業界というのは横の繋がりが密なので、漫画家の使い回しはザラです。そのうちTさんのもとに、これまた34年物の現役エロ劇画編集者であるSさんから「おめんとこでネームがやたら長い4コマ描いてるヤツいたろ」などと連絡があったあたりから、アレよアレよアレアレよ、と言う間に仕事が増えました。当時のエロ漫画雑誌というのは、ストリップ小屋の幕間のお笑いのように、エロの合間に必ずと言っていいほど4コマ物やナンセンス物を入れていたので、仕事は毎月増えて行った。そのうちメジャーな雑誌からも注文をもらうようになると、月の連載本数が22本という状態になり、週刊や隔週もあったので締め切りは1日2回とか3回あったりするし、起きてから寝るまでは机の前、休みも2ヶ月に1回、友だちが誘いに来ても断り、インフルエンザでも休まず、漫画の鬼よ、鉄人よ、人間発電所よ、いや、世界の荒鷲よなどと言われ、お正月もお盆も仕事してました。つまり漫画を描くのがそれだけおもしろかったんでしょう。会社にも行かず、毎日漫画を描いてればいいなんてまさに夢のようでした。

しかし、夢は掴んだあとがたいへんです。そんな生活を4年つづけたある日、前歯は抜け、髪は薄くなり、尻の穴はボロボロで、効いてもいない薬をいくつも飲んだり煎じたり塗ったり挿したり吸ったりしている自分に気がつきました。それにこのまま続けるとワタシの描くものはギャグではなくなるという予感があった。つまり、目の前に滝が迫っていたのです。ワタシのよく見る悪夢ベスト1は、激流の中を滝に向かって流れて行くパターンなんですが、後年、イグアスの滝をテレビで見た時、「あ、この滝、この滝」と思いました。

この頃、滝に向かって流れて行く悪夢を何度も見たので、誰だってオレこのままじゃヤバイと思うわけです。黙って滝から落ちてしまうのが漫画家というものかもしれませんが、ワタシは落ちたくないと思ったので、全部休業することにしました。そう決心すると、この世に決心ほどおもしろいものはないので、なんだかひさしぶりに全身に力がみなぎる思いで、方々の出版社に「休ませてくだせいっ」と電話しまくっては、みなさんを怒らせたのでした。怒鳴りまくる人、だんだん声が遠くなって行く人、15分ぐらい荒い鼻息しか聞こえなかった人、しかし、一番印象に残っているのは「そうですか、わかりました」だけで電話を切られた時です。あははは。

前述のTさんとSさん、そしてもうひとり、今はピンク映画の監督をしているYさん、この3人と会って謝った時のことは忘れられません。Tさんには「オレもんのすごい頭に来たよ」と言われ、Sさんには小便をかけられ、Yさんにはウフフフと笑われました。その後、4人でSさんのアパートへ行き、雑魚寝し、朝飯にカレーを食わせてもらいました。うまいカレーでした。

そのワタシも今では31年物の漫画家になりました。つまり夢を掴んでから31年間やって来たわけで、それを幸せだったと言えば幸せに、不幸だったと言えば不幸に、バカヤローと言えばバカヤローになってしまうものですが、夢を追う人にひと言だけアドバイスするとすれば、「夢は追いなさい、たぶん叶わないだろうけど」です。なぜなら、前にも言いましたが、ワタシは今でも時々「漫画家になりたい」と思っているのです。

今回の写メは田舎で漫画を描いていた頃に使っていた学習机です。まだ実家にあります。44年物です。なんだか物がいっぱい載っています。